| 2007年2月15日(木) |
| 24 |
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ちょっと前の話ですが、アメリカのTVシリーズ「24(TWENTY FOUR)」を観ていて感じたこと。なお、内容的にネタバレになるかも知れないので、これから観る予定の方は読まないでくださいね♪
24の大きなテーマの一つとして主人公のジャック・バウアーが究極の選択に迫られた時にどうするか?ということがあります。
例えば、自分の家族がテロリストに人質に取られていて、彼らの言うとおりにしなくては家族の命が危ない時に、果たしてテロリストの要求に屈するか? というようなものです。
メインのキャラクターの一人にトニー・アルメイダという人がいますが、彼の場合、自分の奥さんが人質に取られて、已む無く犯人の逃走を助けてしまうという場面があります。その結果、反逆罪に問われてしまうのですが。
あるいは、自分の仕事のために、愛する人が大切にしているものを犠牲にせざるを得ないとか……。
ジャックは一貫して仕事(国と国民を護ること)を基本的に優先します。もちろん、自分の命を懸けても家族を救おう・護ろうともしますが。もっとも、テロリストの要求に屈すると何百万人もの無実の市民に犠牲が出る可能性が高いことを考えると、選択は難しいところがありますが。
でも、テロリストとしては一番汚い手を使いますよね。相手の家族を人質にするなんか。
ある意味では、自分の国・家族を護るために命を落としていった第二次大戦の兵士たちの選択にも共通のものがありそうです。
もう一つの大きなテーマとしては、役所仕事への忌避というのがあるかも知れません。役所間の縄張り争いとか、無能な上司、現実的に機能しないプロトコル(規定手順)の違反頻発などなど。
要するに仕事の目的を達成するためには、そのようなことに関わりあっていてはいけないということを言いたいのかなーと思いました。
でも、一応組織として仕事をしているわけで、それを外れた行動を取ることは、その個人の判断で大勢に影響があることが委ねられていることになりますからね。ジャックの場合、なぜか常に彼の判断は間違っていないということになってますが、現実的にはそうはいかないかも知れませんし……。疑問を感じなくはないです……。
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| 2007年2月14日(水) |
| <団塊の世代>自宅の火災で死亡するケース増加 |
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<団塊の世代>自宅の火災で死亡するケース増加 背景は
2月10日14時14分配信 毎日新聞
「団塊の世代」を中心とした55〜59歳の男性が自宅の火災で死亡するケースが全国で増えている。死者は「無職」「一人暮らし」の割合が高い。明確な理由は分かっていないが、経済大国の繁栄を支えてきた世代がリストラに遭い、家族と別居せざるをえなくなった――という生活の変化が背景にあるのでは、との見方が出ている。
【金子淳】
消防庁のまとめによると、05年の住宅火災による「55〜59歳」の男性の死亡率(人口10万人当たりの死者数)は1.64人で、15年前に比べて0.69人増えた。団塊の世代とは一般的に1947〜49年に生まれた人を指し、05年当時は56〜58歳。この年代に当てはまる。 一方、この年代を挟む「60〜64歳」と「50〜54歳」を見ると、この15年間にそれぞれ0.20人、0.32人しか増えておらず、団塊世代の死亡率の高まりが際立っている。
同庁が05年のデータを基に55〜59歳の男性死者の家庭状況を調べたところ、「無職」が6割、「1人暮らし」が5割を占めた。両方の条件を満たす人も約3割に上った。この傾向は「この年代で特に顕著」(同庁)という。火事の特徴としては、飲酒して寝ているうちに消したはずのたばこがくすぶって出火、一人暮らしのため出火に気付かずに逃げ遅れ、煙を吸い込んで死亡――というケースが目立つ。
(中略)
同庁は「この年代の死亡率がなぜ高いのか、背景分析はできていないが、生きることに前向きでない人が多いのかもしれない。そんな心理状態が出火時に影響を及ぼしているのではないか」と推測する。今後は各事例の分析を進め、団塊世代の男性の死亡率がなぜ高いのか、解明したいという。
東大大学院の関沢愛教授(建築・都市防災)の話 個別事例を分析していないのであくまでも推測だが、何らかの社会的要因が影響しているのではないか。この年代の男性はリストラや早期退職などを経験している人が多い。こうした経済的要因や精神的ストレス、希望の見えない世相などが、例えば、乱雑な部屋での寝たばこや泥酔など間接的に火災を生みやすい生活要因となっている可能性がある。
うーん。寂しい……。
「会社と家族のために」一所懸命に働いてきたが、会社では報われず、結果的に早期退職・リストラにあって、顧みることも少なかった家族との絆も切れて、生きる気力も弱くなり、結局一人暮らしで荒れた生活を送っている……。
食事もコンビニ弁当やオリジン弁当などで買って、チンして食べる。自分で料理することもなくて……。
趣味もゴルフくらいしかなくて、経済的にも不安定なのでそれも行けなくなって……。
妻や子どもや周囲の人からもオジサン臭い、加齢臭とか言われて、居場所がない。
会社のために働いてきたつもりだったけれど、プライベートな生活を大切にする時間も作ることが出来ず、自分の人生って何だったんだろう……、と考える毎日。
うーん、すっごく寂しいなー。
まかり間違うと自分もそうなりかねないというあたりが怖いところ。
こういう人がセラピーに来ることは滅多にない。仮に来たとしても、その考えは硬直化しているから、なかなか繊細な感覚や自分の感情を感じてみることも難しいだろうし。
彼らはネットサーフィングすることもないかも知れないから、検索にあたることもないだろうしね。
娯楽と言えばテレビくらいなのかな?
イギリスだとDIYを誰でもやっているので、何かと言えば家のフェンスや下水を直したりして家族のために役に立つこともあるけれど。公共のゴルフ場なら安いから気軽に行けるし……。
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| 2007年2月13日(火) |
| リーディング能力 |
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リーディングとか透視・霊視をする能力についてですが、これは前にも書いたことなのですが、誰にでも直感というものがあるし、その能力は磨いていけば、必ず誰でもリーディングをすることが出来るようになります。
仮に画像が見えないとしても、それを感じ取ることは出来るかも知れないし、何か声や音が聞こえるようになるかも知れません。得意なチャンネルで情報を受け取ればよいわけで、どれが優れている・劣っているということはありません。
リーディング能力が生まれつきなのか、後天的に開発したものであるかにかかわらず、この能力を使っていく・磨いていく時の最大の問題は、フィルターのキレイさです。
フィルターとは、五感以外のソースから受け取った情報をどれだけそのまま、キレイに、偏見なく受け取って言葉にすることが出来るかどうか、のことです。
あちら側から来る情報は、必ずしもハッキリしたものではないかも知れませんし、それは安定しているとは限りません。物理学の世界でも観察者の問題があるように、エネルギーの世界においては、受け取る側のエネルギーがどうしても入ってしまうからです。
チャネリングにしても自動書記にしても同じところがあります。結局は、受け取って、それを言葉にする側の色が入ってしまうと、その元々のメッセージがゆがんでしまうことが少なくありませんので。
リーディング能力はもともと誰にでもあるものだとして、それを使っていく時のフィルターのキレイさが結果の価値を左右するとすれば、要するにリーディング能力を開発するってことは、自分のフィルターをきれいにすることを練習する、またどうしても出てしまうフィルターの癖に気づくということと同じだ、ということになりそうです。
フィルターをキレイにするということは、自分の中の不要な感情を切り離し、自分の力を取り戻し、意識を今現在、自分の体の中に保っていくこと。それは日常生活のなかで、常に練習させられていることでもあります。
つまり、日常生活での課題を柔軟にこなしていけば、誰でもリーディングが出来るようになる!ということかも知れません。
逆に、自分の課題に取り組まない、日々感情(過去・未来の影響など)を切り離すことが出来ない、自分のなかの感情的波に気づかない、周囲が与えてくれる学びの機会に向き合わない、などの態度を続けていると、どのように訓練しても、瞑想しても、特別な「伝授」を受けたとしても、自分の能力を高めることは出来ていない、ということになりますね。
自分を振り返ってみても、毎日、まだまだ課題が出てくるなー、底なし沼なんじゃないの?などと感じることが多いですから、リーディングの幅を広げるためには、まだまだ鍛錬が必要だな、って思います!
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| 2007年2月12日(月) |
| 父親の思い出 |
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私の父親は私が就職して2年後、他界しました。
ようやく二人の子どもたちが社会に出たのを見届けたところで、役割を終えたというところでしょうか。
新潟の柏崎という場所から尋常小学校を卒業して東京に就職しに来た父親は、ある東京の下町の染色屋(和服関連の染物)に丁稚奉公のように入りました。
もともと学校では勉強が出来たらしく、将来は本当は弁護士になりたいと思っていたようですが、結局教育を受けることも出来ず、でも生来芸術的センスには恵まれていたのを活かし、染色の道に入ることになったようです。途中で戦争に行き、どこか大陸(中国?)で通信士をやっていたと思います。一回モールス信号のようなものを教えてくれたことがありましたので。
その後、戦後、独立して東京都内で工場を持つようになり、自宅兼用の事業所で大きな釜を使った染色と、スプレーを使った吹きつけの仕事をしていました。
性格的にはとても穏やかで、社交的。人の相談にもよく乗るタイプで、ほとんど怒ったのを見たことがありません。
自分の髪がなくなってくると(うーん、これは遺伝されるかも知れないから、ちょっと不安になってくる……)、それを逆に使ってひょうきんに振舞ったりしてましたね。
昔、私が小学校の頃に四谷の塾に通っていた時、時々家の軽を出して、私を送ってくれたりしました。当時、私は脚が悪かったので長距離歩けなかったのです。その途中で、坂道発進でのマニュアルシフトの使い方なんかを教えてくれたりしたのは、よい思い出になってます。
本人にしては、弁護士の夢はかなわなかったけれど、もともと器用なところと美的センスを十分に使った仕事をすることが出来たし、それなりにハッピーな人生だったのではなかったか、と思います。彼の色のセンスはありましたから、私が色のセンスがない?、色の記憶がとても悪いのは、彼に取られてしまったからかなー、と思ったりします。
また、彼がまだ健康だった頃には、仲間達と一緒にヨーロッパ旅行にも出かけることが出来たようだし。パリとかローマには行ったのだったかなぁ。
そう言えば、前に私がイギリスでリーディングを受けた時に、父親がその場所に現れて、その辺に置いてあるマリア像などを興味ぶかげに眺めていたことがありましたが、その意味では海外旅行などにもっと出るチャンスがあったらよかったかも、と感じます。
ちょっとした思い出でした。
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| 2007年2月11日(日) |
| 般若心経とFoundation Stone |
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最近、般若心経を見直しています。
法華経などが、未浄化霊・浮遊霊などに対して浄化を説く形になっていることが少なくないように感じるのに対して、般若心経だと生きている人間の浄化の効果が高いように感じます。
もちろん、飽くまでも個人的な感覚なので、詳しくご存知の方は違うとおっしゃるかも知れませんが。
いずれにせよ、自分の感情のゴミなどを浄化する効果は疑いのないものがありますし、未浄化霊であろうと生霊であろうと「功徳」を積むことにはなりそうですので、日常生活で功徳を積む機会を増やしたいという場合は(昔は貧しくて生活に追われている人が大部分だったということも関係あるのでしょうね)、このようなお経を使わせていただくことは、大きな役割があると感じました。
一方、自分の自我を健全に育てるため(自立する・個をしっかりと持つためなど)には、個人的にルドルフ・シュタイナーのFOUNDATION STONE MEDITATIONなどがお気に入りです。
Menschenseele! Du liebest in den Gliedern die dich durch die Raumeswelt in das Geistesmeereswesen tragen:.... というものです。英語の Soul of Man! Thou livest in the limbs which bear thee through the world of space into the spirits' ocean-being のほうが分かりやすいですが。
特に Das hoeren die Gester in Oest, West, Nord, Sued: Menschen moegen es hoeren...あたりは好きですねー。エレメンタルと仲良くしましょ!
これやLord’s Prayer(こちらは神Godの言葉を使っているので、若干宗教的な香りはしますが)を使うと自分の自我を高めて、コズモスに合わせることが出来るように感じます。
自分としては般若心経と Foundation Stoneを両方使うと左右のバランスがとれてくるように感じてます……。
Foundation Stone、英文だけ載せてみますね。
Soul of Man!
Thou livest in the limbs
which bear thee through the world of space
into the spirits' ocean-being.
Practise spirit-recalling
in depths of soul,
where in the wielding will of world-creating
Thine own I comes to being within God's I.
And thou wilt truly live
in the world-being of Man.
For the Father-Spirit of the heights hold sway
in the depths of world begetting being:
Spirits fo Strength.
Let there ring out from the heights
what in the depths is echoed
Speaking: Ex Deo nascimur.
(*)The spirits of the elements hear it
In East, West, North, South:
May human beings hear it.
Soul of Man!
Thou livest in the beat of heart and lung
which lead thee through the rhythm of time
into the realm of thine own soul's feeling
Practise spirit-awareness
in balance of the soul,
where the surging deeds of the world's becoming
Thine own I unite with the World-I.
And thou wilt truly feel in the soul-weaving of Man.
For the Christ-Will in the encircling round holds sway
in the rhythms of worlds, bestowing grace on the soul:
Spirts of Light!
Let there be fired from the East
what in the West is formed
Speaking: In Christo morimur
(*)
Soul of Man!
Thou livest in the resting head
which from the grounds of eternity
Opens to thee the world-thoughts.
Practise spirit-beholding in stillness of thought.
where the eternal aims of Gods
World-Being's Light
On thine own I bestow for thy free willing
And thou wilt truly think
In the Spirit-Foundations of Man
For the world-thoughts of the Spirits hold sway
in the being of worlds, craving for light
Spirits of Soul!
Let there be prayed from the depths
what in the heights will be granted
speaking: Per Spiritum Sanctum reviviscimus
(*)
At the turning of the time
The Spirit-Light of the World
entered the stream of earthly being.
Darkness of night had held its sway
Day-radiant Light
streamed into Souls of Men
Light that gives warmth to simple shepherds' hearts,
Light that enlightens the wise heads of kings
Light Dvine
Christ-Son!
Warm thou our hearts
Enlighten thou our heads
That good many become
what we from our hearts would found
what we from our head would direct
in conscious willing.
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| 2007年2月10日(土) |
| 心臓肝臓同時移植 |
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先日、先天性の心疾患で心臓・肝臓の同時移植しか生きる道がないとされている21歳の青年、橋本万里くんのことを教えてもらいました。
詳しくは以下のサイトにありますが、米国での移植手術に関連して相当な金額の募金が必要となっています。
http://www.banrihelp.com/index.html
映画の「JOHN Q」の世界を思い出してしまいます。
膨大な医療費が負担出来ないと治療を受けられない世界。医療費の大部分がプライベートな保険でカバーされるアメリカの仕組みでしょうか。
血液製剤、移植臓器の登録・維持・管理、極めて高度な医療・検査技術などでお金がかかるのは理解できなくはないのですが、本当にこれでいいのか?と感じることはあります。
イギリスだと国の健康保険(NHS)で普通の医療を受けるのに個人負担はありません。ただし、ものすごく長い待ちリストがありますので(イギリスで極めてよく聞く言葉、QUE=待ち列)、生命に関わらない治療を受けるためには何ヶ月も待たされることは日常茶飯事ですが。
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| 2007年2月9日(金) |
| 自分の内面と外界の関係? |
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これは何度も書いていることではありますが、自分の周囲の人について自分が感じていることは、概ね自分自身のことを反映していると思ってます。
つまり、周囲の人が自分勝手だと思ったら、それは自分が自分勝手な振る舞いをしていることを示しており、周囲の人が優しくしてくれないと感じたら、それは自分が優しくしていないということを示している……、という具合です。
特に、相手に対して自分の中にその気持ちが感情的なものを伴う場合は、まず間違いなくこれが成立するように思います。
もちろん、自分自身について反映しているといっても、それはそれを感じる相手に対してそのような態度をとっていることではなく、普通はどこかで誰かに対して自分がそのような態度をとっているということを意味していると思っていると間違いないです。
そんなつもりはない場合はどうしたらよいか?
自分の普段からの振る舞いを振り返っても心当たりがない場合、それとは同じエネルギーでありながら、逆のことも考えてみてもいいかも知れません。
例えば、誰かが自信過剰だと感じたけれど、自分が自信過剰な態度をとっているとは思えない場合なら、自信過剰の裏返しは自尊心の低さでしょうから、自分の自尊心が低いのではないかと……。
実は、自信過剰も自尊心の低さもまったく同じエネルギーであり、その表現が違うだけだからです。ホメオパシーならライコポディアムをイメージしたら分かるかも知れません。
自分は優しくしていないつもりはないのだけれど、周囲の人が優しくないと感じる場合なら、優しいの裏返しを考えてみます。色々な場合があるので一概には言えませんが、優しさの裏には依存の心がある場合もあります。或いは恩着せがましいとか?
または、それは他人が自分の期待通りに動かないから優しくないと感じているのかも知れませんから、それは自分が外界を自分の尺度に押し込めようとしていることを意味しているのかも……。
この理由は、主観的現実という説明も出来ると思いますが、要するに自分に見える外界は、実は自分の内部が反映しているものが多いということから言 えるように思います。特にその場合に自分から感情が出てくる場合(つまり、相手の自分勝手な態度に腹が立つなど……)は、それが自分の内部の状態を示して
いることは、あまりハズレがないと思われます。
このような外面が自分の内面の反映であるということは、直感を使うときにとても邪魔になります。というのは、外面を客観的に、偏見なく把握することが難しくなるからです。透視リーディングなどの場合、これが大きな障害となりますね。
それが自分の内部の影響を受けていることがわかっていて、それを一時的にでも排除して(エネルギー的にその影響を除去して)リーディングを行えばよいのですが、時にはこれが難しいことです。
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| 2007年2月7日(水) |
| リーダーの力 |
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先日ちょっと書いた坂井三郎(第二次大戦日本海軍のエース)の「戦話:大空のサムライ」に指揮官の心構えのようなことが書いてあります。
(1)実力をもっていること
これは当然です。しかし現実世界には実力がないのにリーダーになっている人も多いようで……。まあ、戦時中ではないですから、自分の命がかかっている訳ではないので、総合力でOKならいいんですが……。
(2)みずからを演出する能力を持つこと
ここで、海上で道に迷って部下と自分の命が絶体絶命になった時に航空弁当ののり巻きを食べてみせたという有名な話があります。ハッタリと言えばそうですが、部下がパニックに陥っている時にわざと冷静さを示してやる、ということは難しいことではありますが、また大切なことだと感じます。
(3)人間としての魅力
仕事上における父親的な愛と、部下との人と人の交わりについては母親の愛を併せ持つこと
(4)部下を指導する能力を持つこと
連合艦隊司令長官山本五十六の言葉で「してみせて、言って聞かせて、させてみて、賞めてやらなきゃ人は動かぬ」というのがあります。してみせる、言って聞かせる、くらいまでは誰でもしますが、させてみて、くらいになると少なくなってきて、更に賞めてやるになると、かなり少ないかも知れませんね。
(5)決断力を持つこと
正確な判断力と、果敢な断行力を兼ね備えること。極めて難しい局面で、かつ自分の決断によって人の生死が決まりかねないとすれば、そこでも冷静に判断して、決断したらそれを何があっても断行するのは、とても難しいことです。
対して、米国の海兵隊のMarine Corp Principles of Leadership(海兵隊における指導力原則)
- Take responsibility for your actions and the actions of your marines (自分の行動と部下の行動に対する責任をとる)
- Know yourself and seek improvement (自分を知り、自らを磨く)
- Set the example (範を垂れること)
- Develop your subordinates (部下を育てる)
- Ensure that an order is understood, then supervise it and carry it through to completion (命令が理解されたことを確認し、それを監督し、完了まで見届けること)
- Know your marines and look after their welfare (部下を知り、彼らの世話をする)
- Keep everyone informed (全員で情報を共有する)
- Set goals you can reach (自ら実現可能な目標を達成する)
- Make sound and timely decisions (的確で時宜を得た決断を下す)
- Know your job (自分の職務を知る)
- Train your unit as a team (自分の隊を一つのチームとして訓練すること)
両方は似てますが、人と人の魅力を具体的に述べているところが日本らしいかも知れません。結局は、米軍においても、あの人だから(戦時中なら命も預けて)着いていこう、ということでリーダーシップが形成されているのでしょうね。それだけの信頼を作り出し、部下の心をガッチリ掴む力が求められるのは、会社においても同じことですね。
それについて、坂井三郎の戦話のなかには、敵襲が迫ってきても、部下が避難できたことを確認するまで、指導官はその場を動かず、結局逃げ遅れたが、幸い敵弾があたらずに生き残った、という話が紹介されています。部下が上官の安否を確認するために飛び込んだら、その場で軍刀を抜いたまま仁王立ちをしており、最初の言葉が「みんな、大丈夫だったか?」と普段の声で言われた、という話です。このような人なら、どこまでも着いていこうと感じるのが当然でしょう。
会社に勤めている時には、時々上述の海兵隊の指導力原則を引用して、情報のシェア、範を垂れること、部下の行動に対しても責任から逃げない、などを意識していたこともあります。
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| 2007年2月4日(日) |
| ボートを楽しく漕ぐ |
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しばらく時間があいてしまいました。ここ数日間(いや一週間弱か?)、ちょっと体調を崩して、寝込んでおりました。
その間、色々なことが目の前を通り過ぎていったのですが、何もまとまらず……。
最近は、図書館で適当な本を借りて、読むようにしてますので、寝ながらもいくつか読みました。
そのなかでは、「生きがい発見の心理学」(諸富祥彦)が一番面白かったかも。トランスパーソナル心理学系の方らしいですが、学校カウンセラーのケースなどが載っていて、身につまされる感じあります。
確かに最近10代の方とお話する機会がいくつかあって、その中で、彼らが自分たちの人生について本当に真剣に思い悩んでいるのをシェアさせてもらいました。
私が10代だった頃には随分お気楽だったなー、と思います。確かに色々苦しんだり悩んだしたこともありましたが、それはそれ、でも自分の人生について、その意味は何か?というような悩みはなかったですねー。
今思い返せば、なぜか大昔から「死ぬときにいい人生だったと思えれば、それでいいや」という風に考えていたみたいです。
自分はなぜ生きているのか、自分の人生の目的・使命は何か? なんて考えていたかなーと思うと、多分考えてなかったでしょうね。それだけ最近の10代の方は真面目というか、人生に対して取り組み方が真剣なんだろうと感じた次第。
この本のなかで琴線に触れたところは幾つもあるのですが、一つだけ。
昔の歌にこんなのがあります。
Row, row, row your boat,
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.
漕げ、漕げ、ボートを漕げよ
ゆっくり流れを下っていく
楽しく、楽しく、楽しく、楽しく
人生は一つの夢に過ぎない
深いです……。あまり余計な解釈は付け加えたくないです。
流れを下っていこう、だと誰かと一緒だと想定しているみたいだし、
人生は一つの夢に過ぎない、を「過ぎないから」にしてしまうと、だから楽しくしたらということなのか、だから漕ぎ続けたらなのか、それともだから「ゆっくりと」流れを下ったらなのか、という迷いが出ますしねー。
ある意味では、その場で立ち止まっていることは出来ないから、目の前のこと(オールを漕ぐこと)はしないさいよ、と。
でも、人生を通り過ぎれば、海に達するのだし、その間は一つのマーヤ(幻影)なんだから、要は瞬間を楽しむことが大切なんだよ、とも。
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| 2007年1月25日(木) |
| 戦話・大空のサムライ |
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坂井三郎氏の「戦話・大空のサムライ」を読んでます。
実はまだ途中なんですが……。
なぜか飛行機(特に戦闘機)の話になると何かがワクワク・ウルウルする私です。
坂井三郎氏は太平洋戦争で活躍したエースです。
この本ですが、戦争の話というより、坂井氏がその実戦体験を通して学んだことを色々と含めて論じたものです。
リーダーとしての資質とか、真剣勝負での立ち振る舞いなど、会社組織でも、個人セラピーでも応用できるものが満載。
内容とそのコメントについては、また書きますが、インナーチャイルドワークとか内観とかボディ・リーディングとかの本の間にちょびちょび読んで楽しんでますー。
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| 2007年1月23日(火) |
| 放っておいたらイカン |
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「スピリチュアル」な道をたどっている人が多くなっているようで、それはいいことなんですが……。
他人に対してヒーリングやセラピーをしていくためには、自分の課題を解決していくことが大切ですよね、きっと。
それを放っておいたら……。怖い〜
ツケがきます。
私も来てます、来てます。
これまで乗り越えたと思っていることも、まだまだ残ってるよ〜って、来ます。
逆に言えば、それだけ周囲の人に助けてもらっている、手伝ってもらっているということなんです。ありがたいことです。
自分がどれだけ乗り越えてきたか、それを日々目の当たりにするのって、ややもすれば重くなってしまいますねー。
2合目くらいまで登ったかなーと思っていても、まだ麓(ふもと)にしかいないのかなー、と思ったり……。疑問、無力感、脱力感にはまってしまうこともあります。
でも、せっかくこの機会を頂戴しているんだから、やるだけやってみよう!結局、生まれた時から累計してもマイナスだっていいじゃないの!と思って。マイナスならそれを出来るだけ小さくして、出来たらゼロに、出来たらプラスに持っていきたいし。
日頃から、私のためにパワーを送ってくださっている方々、ありがとうございます。感謝感謝です。ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします(って、いつまでたっても他力本願な私……)。
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| 2007年1月21日(日) |
| 「生きる」 |
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黒澤監督の「生きる」を観ました。
志村喬演じる主人公が胃がんで自分の死期が迫っていることを知り、残りの人生をどのように過ごすのか、というテーマです。
初めてではないですが、今回再度観なおしてみて、改めて感動しました。ウルウル……。
今日が最期だと思って生きていたら、どれほど大切なものを大切にするのか、どれだけ時間を無駄にしないで済むか、自分が本当にしたいことをするようにするか、を考えさせられます。
まさに「今」を生きる、というテーマですねー。
毎日精一杯生きていたら、過去も遠い将来も関係ないんですよね。自分が過去生と同じパターンを繰り返しているかどうかとか、自分の能力が欠けているかどうかとか、過去の思い出や後悔に時間を費やしたり、まさに「私にはそんな暇はない」んです。
現実で行動を起こすと、それは道なき道をつくることですから、それなりに障害は出てきますが、それを乗り越えたところに自分の人生が刻まれるのですね。
何か刻みこめることが出来たら、それはそれで自分の人生は成功だったとも考えられるかなー。
このような映画はハートにきますね♪
セラピーでもこんなじ〜んとくる瞬間を持ちたいから、この仕事やってるのにねー。反省です。
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| 2007年1月19日(金) |
| ディベート(議論)は無意味か |
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欧米で行われているディベートは無意味だという意見もあります。
しかし、人生の目的を「通訳」としている私としては、ディベートが悪いとは思えないのです。
ディベートは、ある論題が決まっていて、それについて是非を論じるわけですが、それによって自分の意見に客観性を持たせるという機能があります。
たとえば個人的には死刑に反対だとしても、賛成と立場から論じなくてはならないこともあるので、自分とは違った考え方の人のことを理解出来るようになります。
相手を論破することが無意味だ、屁理屈ばかり並べるというところが批判されることもありますが、自分が論じている考え方を十分理解していないと論破することは出来ません。焦点は論破することではなく、自分とは違った考え方を理解することにあるのだと思います。
さらに、ディベート的な考えがないと、欧米人の考え方がわからない、つまりコミュニケーションが出来ない、という重要なポイントがあります。
別に常にディベートをしていることは不要ですし、不適切です。
と同時にディベートの対極にあるであろう「腹芸」で常にコミュニケーションに臨むことも、不適切なのです。
両方をマスターすれば、TPOにあわせてコミュニケーションをとることが出来ますし、それによって自分が触れる世界は大きくなると思っています。
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| 2007年1月18日(木) |
| 助け合う |
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心の不調を感じている方が精神科などに行って、結局よくならないということもあります。たくさん薬をもらうのですが、なんだかんだと副作用があって、その副作用を抑えるための別の薬をもらったりして。
別に精神科の治療が間違っているとは言いません。多分、それによって助かる人もいると思います。ただ、そうでないように見える方にお目にかかることもあるので、そういう印象が個人的にあるというだけです。
先日、人生である経験をすることと、その経験と苦しみを理解することには大きな違いがありそうだということを書きました。
とすると、ウツなどで悩んでいる人に本当に共感できるのは、その苦しみを経験したことのある人ではないかと思いました。
つまり、もしその人が他に同じような悩みを抱えて苦しんでいる人の話を聞くようにすれば(グループ・セラピーなどで行われているとは思いますが)、それは双方に癒しあうということになるのだろうと思います。
これに近いことはブログやSNSなどでも行われていると思います。同じような悩みを持った人が集まって、お互いに話を聞きあうシステムです。
そこで使えるツールや技術を紹介したり、そこにいると見えにくいような見方を紹介する第三者も必要でしょうね。そうでないと、お互いに同じ方向に行ってしまうこともあるでしょうから。
お互いに精神的に安定していないからとか、これまで考えたこともないネガティブな考えに触れる「危険」を考えると、このようなグループ・セラピーは軽度な場合に限りたいということも理解は出来ますが、ある人がそこまで落ちてしまうと、同じ経験をしたことのない人にとって、そこで本当に共感することは難しいのかも知れません。
もちろん、理論的にはそのような状況でも共感して、そこから抜け出すことをサポートする技術と意思を持った人が医師やカウンセラーになる《はず》ですし、そのように対応していらっしゃるお医者様やカウンセラーも少なくないと思いますが、現実的にそうでないような場合の例を耳にすることもあります。
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| 2007年1月17日(水) |
| 大きな視点 |
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宇宙飛行士が大気圏外から地球を見て、人生観が変わったという話を聞きます。
大気圏外に出ると、そこはある意味では死の世界ですものね。気圧はないし、酸素はないし、宇宙線や太陽風など放射線が来るし、無茶苦茶寒いか暑いし……。
そこに浮かんでいるのは、青い地球です。他の世界には人間は生きられないのに、地球の上には水もあるし酸素もあるし適度な温度が保たれているし。
そこで地球に対するとても強い愛情を感じると同時に、地表の一部に住んでいる人間たちがお互いを憎しみあって、殺しあって、傷つけ合っている姿にやりきれない虚しさを感じるのでしょうね。
一方、地球上の膨大な自然界は、それでも地球を癒し続けてくれています。二酸化炭素を吸収して、動物の食べ物を作り出し、雨を通して飲み水を提供してくれて、強い太陽光線から私たちを守ってくれて、樹木など植物界は私たちのココロを癒してくれます。黙々と……。
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| 2007年1月16日(火) |
| 生かされている感覚 |
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坦坦と生きるということですが、先日感じたのは、確かに日常の小さな幸せを感じることが大切かな、と思いました。
私はもともと「生かされている」という感覚が自分のなかにシックリこなかったのです。
頭で考えたら、それはその通り。生かされてます。
だって、自分で自分の世話を全部出来るかといったら、出来ませんからね。
毎日食べているお米だって、八百屋さんで売っている野菜だって、誰かが作ってくれたから、食べられるわけだし。
こうやってインターネットに繋ぐためのPCも誰かが作ったもの、そこで使っている電気もそう。電話線の誰かが敷設してくれたから使えるようになっているわけです。
ところで、この世から消えてなくなりたいと思っている人は、すべてを捨ててしまいたがっていたりします。
でもその人が生活してきた空間には、ボタンを押せばきちんと点灯するランプがあるし、蛇口をひねれば水も出てくるんですよね。頭の上には誰かが作ってくれた屋根があって、外の寒さから守ってくれているし。
その一つ一つにはエレメンタルがついていて、これまできちんと管理してくれているわけです。水を水として、熱を熱として、木を木として保ってくれてきたのです。こちらから頼まなくても彼らはその仕事をずっと続けてきてくれています。
それらを捨ててしまいたいと言われると、彼らエレメンタルに「申し訳ない」と感じるのは私だけでしょうか?
続きはまた後日
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| 2007年1月15日(月) |
| バスーン好き |
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バスーンって知ってますか?
楽器です。オーケストラなんかで木管楽器のセクションに入っていて、1.5メートルくらいの、長くて茶色の薪の束みたいなの持ってる人、見たことありませんか?
筒からクニャって曲がった細い管が出ていて、その先を演奏者がくわえているやつです。
まだイメージできない方は、このページをご参照ください。
www.jdri.jp/products/bassoon/index.html
バスーン、なぜか昔から大好きなんです。音が好き!
多分、私の声の音域にも合っているんでしょうね。コミカルな音や寂しい音も出せる楽器です。よくアニメやドラマなんかに使われてます。
個人的には、クラウス・トゥーネマン(KlausThunemann)という演奏者が一番です。北ドイツ放送シンフォニーオーケストラの主席だった人。
この人の演奏聴くと、もう嫌!という感じです。こんなに表現豊かで、テクニックも凄い演奏聴いたら、自分ではやりたくなくなります。
昔の話をすれば札幌交響楽団の戸沢宗雄さんのスタイルも大好きでした。
時間ができたらまた練習したいものです。
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| 2007年1月14日(日) |
| 分かってもらうこと |
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自分が苦しい経験をした時に、誰かにして欲しいことがあるとすればそれは何でしょうね?
慰めて欲しい?
話を聞いて欲しい?
抱きしめて欲しい?
一緒に怒って欲しい?
などなど……
これらに共通しているのは、「自分の気持ちを分かって欲しい」「共感して欲しい」ということだと思います。
つまり、どのような苦しみでも、誰かに分かってもらいさえすれば、その重荷はかなり軽くなります。
他人に自分の気持ちを分かってもらうためには、自分の気持ちも表現することが必要かも知れません。これは自分の感情を抑圧しないで、ハートを開けるということになりますよね。
でも、なかなか自分のハートを完全に開けて、話をすることは出来ません。
なぜ?
安全でないからでしょうね。安全だと感じていないから。
誰かを恨んでいる時に、ひょっとしたら話した相手から自分が恨んでいる人やその友達に話が届いてしまうかもしれないとか。
悲しんで本当は泣きたい気持ちの時に、涙を流したら相手は自分を弱い人間だと思うかも知れないとか。
自分が不安を持っていることを話したら、今まで口に出さなかったから我慢できたのに、これから我慢できなくなってしまうのではないかとか。
自分の考え方を相手に話しても、相手はわかってくれないで、却って自分を批判するようなことを言うのではないかとか。
色々な理由があるでしょう。
だから第三者のカウンセラーとかセラピストの存在が大切なのかも知れません。セラピストなら、セラピスト自身の感情や価値観は棚上げして、自分の話を聞いてくれるだろうし、第三者に口外することもないし。
でも、セラピスト、カウンセラーは自分と同じ経験をしているとは限りません。だから、自分と同じような状況にいる人のことを本当に分かってくれるのだろうか不安に感じても不思議ではないですよね。
人間一人が経験できることは限られていますから、その経験不足を補ってくれるのが、カウンセリングの勉強なのかも知れません。
しかし、頭で理解するのと共感するのは随分違います。
相手が経験しているものと似ているものをカウンセラーが自分の引き出しから取り出すことは出来ます。これが人間力と想像力の部分。
この引き出しをたくさん持っていると、相談している人は最初からとても安心できます。
その人の前に座った瞬間に、相手の引き出しの大きさを感じて、何を話しても大丈夫と感じることもあります。あるいは、何も話さなくても、この人は分かってくれていると感じたら、会話は不要になるかも知れません。これは理想的。
だからこそ、自分で経験しておくこと、自分が経験したものを消化しておくこと、がカウンセラーやセラピストには重要なのだと思います。
もちろん、これはカウンセラーやセラピストに限りません。友人として、親・子として、あるいは「偶然に」出会った人として、苦しんでいる人に何かをしてあげたいと思う人に共通のものです。本当に「人を愛する」ということの根本にあるものかも知れません。
自分が経験し克服してきた苦しみの量は、このように、自分が人に愛を与える能力の大きさを示しているのだと思います。
この意味で、「苦しみ・経験」=「自分の資産」なのでしょう。これまで経験・克服してきた苦しみが大きければ大きいほど、その人が他人に出来ることは大きくなります。人を愛する能力も高くなると言ってもいいと思います。
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| 2007年1月13日(土) |
| 坦坦麺 |
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先日、坦々と生きるということを書きました。
ということで(関係あるのか?!)坦坦麺について。
以前、横浜中華街に住んでましたが、山ほど中華店があります。そのなかでも気になるのは、四川と台湾(特にお粥)でした。
何回も前を通りながらなんとなく入らなかったのは、福満園。中華街パーキングのほうに住んでいたので、そこの前でお店に入ってしまうと、中華街が味わえないような気がして……。でも、パーキングの近くは福満園新館で、本店も警察前にあるんですね。でも、本店が福建と四川なのに比べて、新館は四川に重点を置いているみたい。
四川で有名なのは、謝謝(シェイシェイ)と景徳鎮(ケイトクチン)でしょうか。
とにかく辛いのは間違いないです。
食事に行って辛くて閉口した(でも喜んでる!)ので覚えているのは、ロンドンでタイ料理に行って、たまには別なもの頼んでみようかと思った時(出てくるのが全部辛くて拷問状態でしたね)。それから韓国ソウルに卒業旅行で行った時。
とにかく目の前にあるものを食べないとレストラン出られないという絶体絶命の気持ち。
汗はダラダラ、舌はヒリヒリ、お腹もおかしいし、体全部で抵抗しているんですね。
でもそこは気力!!です。
翌日のことは考えない、考えない……。
話がずれましたが、坦坦麺。最近は、肉を食べないので、ここ1年くらい食べてないかも……。食べてみようかな?
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| 2007年1月12日(金) |
| 実践していく |
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大昔聞いた話ですが、楽器を演奏するタイプには二つあるそうです。
一つは、楽器の歴史や演奏理論に詳しい人。
もう一つはその楽器をただ演奏する人。
どちらのほうが上手な演奏をするかと言えば……
後者だそうです。
もちろん、ある程度のことは知らないといけないのでしょうが、まずはその楽器を愛して、演奏を楽しんで、ただ演奏したくて仕方ないというタイプのほうが、結果的には人の心に触れる演奏をするということらしいです。
これが本当の話か否かは別にして、この「ただ実践する」ということが大切であることは間違いないでしょうね。
クラリネットの北村英治(世代が古いというツッコミは却下です!)は独学だったそうですが、クラリネットが買えなくても棒切れを使って指使いを練習していたそうです。
私の場合、楽器でもそうですが、昔からよく「理論より行動だよ!」と言われてきました。その癖はなかなか抜けません。
実践が大切ということについては、自分が信じていることを言葉や理論で他人に説教しても、結局相手の頭には残りにくいものです。
キリストは、説教もしましたが、同時にその生き方を自ら実践して、それを証明したのだと思います。
親子関係でもそうですよね。
いくら子供のこうしろああしろと言っても、子供はちっとも聞いてくれないです。
でも、親の生き方を見せることで、それを体で体得していきます。本当に子供は親の背中を見て育つもののようです。
じゃあ、ヒーリングもきっと同じところがあるでしょう。
自分が実践していないこと、少なくとも実践しようとしていないことを、他人に説いても、それは情報としては存在しますが、結局聞き手の心には残らない、単なる理論になってしまいます。
だから……
自分の人間力を高めたいと思ったら、自分がその生き方をすることが大切なんだろうなー、と思います。
自分の課題から目をそらさずに、坦々とその精神を生きること。
自分が何から逃げ続けていたら、または自分をキレイにすることが出来ないならば、その人は他人がその人の課題に直面するサポートも、他人が自分のエネルギーをキレイにするサポートも難しいでしょう。
「坦々と」ということについてはまた明日……
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| 2007年1月11日(木) |
| 猪突猛進 |
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新年明けてまだ数日しか経っていませんが、どうも今年の流れは速いのかな、という印象があります。
いくつかのチャンスや情報が目の前を流れていきますが、それが以前よりも種類は多いけれど、繰り返される回数は少ないのかな、という感じです。
つまり、流れにのって、その瞬間に自分に必要なものなのか、それとも単なるお試しなのかを決めて、つかむべきチャンスはつかむことが大切みたい。
これまで私としては、結構ペンディング・リストに載せておいたりしてましたが、出来ることは今の瞬間やっておくようにしていきたいと思ってます♪
計画としては、5月にドイツ(主に自然霊との繋がり強化。でも、出来たらドレスデンでシスティーナ・マドンナみたい!)、7月にアラスカ(フラワーエッセンスのワークショップ)に行きたいな〜!
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| 2007年1月8日(月) |
| 自然霊・エレメンタル |
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自然界にいるエネルギー存在をエレメンタルを呼んでいますが、それも場所によって随分違ったエネルギーを持っています。
たとえば、イギリス湖水地方は私がとても大好きな場所なのですが、そこのエレメンタルは人にとても親切で、暖かく包んでくれます。森に入っていっても「ようこそ!」という感じですし、ソフトで明るい雰囲気です。
スコットランドやアイルランドのエレメンタルは、もう少し粗い感じ。エレメンタルはもともと元素(土、空、水、火など)を司っているので、その元々のエネルギーがそのまま出てきます。それで、ちょっと取っ付きにくい感じもしますが、とても力強い、一本芯が通っている様子が見て取れます。ゴロゴロと転がっている巨大な岩や、日本海を思わせる荒い波、天候も自然の厳しさを教えてくれます。
おそらく湖水地方などに比べるとスコットランド、アイルランドのエレメンタルは、意識をしっかり持っているのだろうな、と思います。
これを更に強めると(あるいは、高めると)日本の自然霊に近くなるのかな、と思います。これはまだ仮説に過ぎませんが。
以前にも書きましたが、日本の自然霊の意識って、一種大天使に近いものを感じます。水や土のエレメンタルより上のものをかなり統括しているような大きな存在です。
これは約1年前、熊野地方を訪れたときにも感じたことで、神社に祭ってある巨石の上の水の跡に意識をあわせると、すぐにその巨石全体、さらにその神社の森、さらにその裏に広がる山に同調してしまったのです。そして眼下に広がる街を護っている様子を教えてくれました。
日本の自然霊って何か特殊なところがあって、更に稲荷・龍神などのこれまた性格の濃いエネルギーがかかわってくるあたり、もっと知りたいと思ってます。とても興味を引かれるし、そこに私の右側(東洋の部分)を鍵解くヒントがありそうに思います。
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| 2007年1月7日(日) |
| 汗…… |
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時々スパイスを使ったカレーや、唐辛子の入ったパスタなどを食べます。
すると、汗かくんですねー。汗、汗、汗……。
昔はなかったくらい。
だって、頭振ると汗が飛ぶんです!
首の後ろにはダラダラたれてくるし。
これは……
昔も同じように汗をかいていたのだけれど、その汗をとどめるだけの髪の毛がないということなのか?
それとも……
代謝がよくなってきているのか?
まあ、これは「毎年若くなる」というポリシーには合致してますね!
あるいは、頭に余分なエネルギーが溜まっているということか?
まあ、三番目かも知れませんが。
いずれにせよ、汗をかくことはいいことだと思ってます。
よく洗髪してますから、クライアントの方、大丈夫です。少なくとも、クライアントの方がいらっしゃる前には洗髪してます!
PS: タバスコや鷹の爪より、カレーのスパイスのほうが、たくさん汗出ます。なんか、健康にいいことしているような感じ!
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| 2007年1月5日(金) |
| あ〜、バカァ |
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今年に入ってから、バカになりました。
でも機能はしてます。生きてます。食べてます。
色々考えてもラチがあかないものは、手放そうと。
目の前のことを楽しめばいいかなぁって。
そこで……
別に日記の下書きも書きましたが、それをやめてとりあえずご報告(と言っても誰にも関係ないことかも)
私のホームページ、英語版を作ってます!
もともとは英語もあったのですが、内容的に気に入らないので、全部書き直ししてみようとしてます。
まず今日のところは最初のページ、プロフィール、場所・予約、それからアプローチの例のところを英語で書き直してみました。
そしたら……
人格が変わるんですねー。
ずっと肩の力が抜けてる文章になってて、ちょっとびっくりです。
もともとアメリカにいるほうがずっと気楽な感じだったのを思い出しました。
なぜ、これが日本語だと出来ないか??
???
??????
出来ない理由はないですよねー。
わかりました
そうします!
今年もよろしくどうぞ!
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| 2007年1月4日(木) |
| 新年あけました |
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本当はすごく苦手なのですが、新年あけましておめでとうございます!
昨年末はとても年末とは思えない感じで、結構日常的な年末でした。紅白も見なかったし(ここ12年くらいまともに見てないですが)。
元日からピザ食べてて。
あとは年末からいくつかDVDを観ましたね。
あー、とても「生産的」な日々だった。
では、今年もよろしくお願いいたします。
HPのアップデートも、長年の懸案事項もやろっと
今年はバリバリ、楽しくやることにしています。感謝と愛を合言葉に。
今年こそ、自分は生かされている!って深く実感できるような器になるかも知れないし
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| 2006年12月28日(木) |
| 極端なことが好き? 自立と依存 |
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