ホリスティック・セラピー


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我慢について

先日、子供の世話をしていると、特に子供が幼い場合、親が自分の時間が持てないと感じることについて書きました。その際、自分のしたいことを我慢しているという気持ちと、子供のために何でもしてあげたいという気持ちのジレンマがあると書きました。

私たちはそれぞれ自分が好きなことをやりたい、自分が楽しい時間を過ごしたいという欲求がありますが、それをあたかも存在しないかのようにふるまうことには無理があるとおもいます。

それはある意味で、自分自身に対してウソをついていることになりますので、それが潜在的な怒りのエネルギーとなって内に蓄積されます。時には自分の内にこの怒りがあることも気づかないほど、奥深く閉じ込めてしまいます。

なぜこのような行動をとるのか?

ひとつは、自分の中の責任感・倫理観があるかも知れません。

私たちは小さい頃から他人のために何かをすることは良いことだと教えられ、自分でもその通りだと感じているかも知れません。

しかし、そこで自分自身を犠牲にしてしまうと、それは自分にとって大きな負担となります。その結果、本来喜びであるはずの他人に対する奉仕が自分自身の魂を縛ってしまう足かせになることもありそうです。

その結果、出てくる感情は自分はこれだけしてあげたのに……、なぜ私だけが我慢しなくてはいけないのか……、という被害者意識かも知れません。

この点で、先日書かせていただいたのは、自分の気持ちの原点に戻ることです。つまり目の前の子どもの世話をし、子供の成長のプロセスにかかわり、それを一緒に体験することを自分の魂は求めているのか?という点です。

日々の生活では肉体的・精神的負担からこの原点を忘れてしまったり、それを覆い隠すほどため込んだ感情のゴミによってこの原点とのつながりが弱まってしまうこともあるかと思います。

自分の心の中に天秤をつくり、片方にこの原点を置き、もう一方に自分のやりたいことの重しを置き、その瞬間自分はどちらを選択するのかを決めれば良いのかも知れません。その結果、自分にとって今の瞬間は子供の世話が大切だと思えば、それは自分の一つの決断として行動すればよいことですし、また、自分のやりたいことを選ぶなら、それも良いことだと思います。

このようにすることで、前述の我慢・自分自身に対するウソを緩和することができると思います。

この心の天秤のバランスを自分の中でハッキリさせることによって、それは二つの選択肢を比べたうえでの自分の選択・決断になりますので、自分は我慢して……、や自分は犠牲になって……、という気持ちにはなりにくくなると思うのです。

すると、自分が子供の世話や奉仕を選択した時に、それをより無償のものに近付けることができるのだと思います。


自分の本当の姿を見る


私がサラリーマン生活を送っていた時にもそうでしたが、朝は目覚ましで目覚め、目も覚めないうちにコーヒーと朝食をとって、ほとんど眠ったまま自動操縦状態で会社まで行き、それから昼間の仕事をこなし、昼食はかきこむように食べ、午後の仕事。その後、すでに空腹を感じられなくなるまで働き、疲れ切った体を電車にのせ、家にたどり着き、ビールを飲み夕飯を食べ、それから目的もなくテレビを見て、風呂に入って寝る。これが典型的な生活なのではないかと思います。

本人にとってみれば、自分はずっと会社と家族のために走り続けて、ひと時も立ち止まることが《できない》と感じているかも知れません。

しかし私が時々感じるのは、このような人が一番恐れているのは立ち止って、外部からまったく刺激のない状態で自分の内を見つめることではないのかということです。

走り続けている間は自分ひとりで内面を見つめる必要はありませんし、テレビや読書や音楽も自分の内を見つめないための言い訳になりえます。外から何も刺激がない状態で自分の頭が何を考えているか、自分の中にどのような感情が沸き起こっているか、自分の肉体が何を伝えてくれているかに耳を傾ける時間を持つことはとても重要だと考えます。

このような時間を瞑想と呼んでもいいかと思いますが、現代人にはこれが一番欠けているものの一つだと感じています。

これをして自分の内を見つめると、実は自分自身の醜さに気づかされるものです。

ここで気づくのは、自分は自分で思っている程やさしくもないし、慈悲深くもない、自分の内には抑えきれないほどの傷や悲しみや怒り、恐怖が渦巻いている。自分がどれほど自分勝手で、本当の愛を知らず、人を傷つけ、また自分の肉体の声を無視しているかを突きつけられるのです。

意識を拡大していくと、ある一点で「境界の守護天使」と出会うことがあるようですが、その時、自分自身を本当の鏡で見る経験をするようです。

すると己のあまりに醜い姿に驚かされるといわれます。世俗的には素晴らしく慈悲深い人だと衆目が一致しているような人でも、そのようです。ましてや、これまで人を傷つけ、エゴを丸出しにし、ウソをつき、見栄を張り、人を恨み、人を疑い、自信を失い自分自身の魂の光を表現してこなかった人は、その己の姿を見るに堪えないことかと思います。尤も、この範疇に入らない人はほとんどいないと思いますが。

私自身もできるだけ、毎日静かな時間をとり、自分自身の本当の姿を見ようとしていますが、自分の中に抵抗はありますので、なかなか難しいことです。

オーラの中には様々な画像が光り、チャクラはつまり、あらゆるところにエネルギー・コードが刺されています。肉体レベルでも、感情レベルでも、魂のレベルでも、自分がきれいなことはありません。そして自分自身の姿は、リトル・マーメイドで悪い魔女に魔法をかけられたトリトンのように、ひょろひょろで陰鬱で、腐った草のような色をしています。

あらゆる頭の活動をやめ、テレビを消し、本を置いたときに見えるのは、しばしばそのような姿で、これを潜在的に知っている自分は、そこを見ないように頭を働かせ、夢想にふけるのだと思います。

しかし、この本当の姿を勇気をもって見つめ、そこにある小さな光を大きくしていく主導権を自ら握ることができるなら越したことはありません。

これこそが、人生の経験の目的であり、もしその主導権を守護天使から「取り上げる」ことができたなら、これほど素晴らしいことはありません。

通常私たちが日常経験する苦悩のすべてはこの課題、魂の成長を助けるために天使たちによってアレンジされているものだと考えられるからです。

この主導権を自らの手に握るためにあと何百回転生を繰り返すかと思うと気が遠くなりますが、これまでの自分で積み上げた大きなマイナスを少しでも小さくする方向に進みたいものです。




実は最近「オーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンス」の続編となる「ブッシュ・フラワー・ヒーリング」を読み直しているのですが、そこでふと思ったことを。

「ブッシュ・フラワー・ヒーリング」の中で紹介されている比較的新しいエッセンスの一つにフレッシュウォーター・マングローブというのがあります。

正直このエッセンスを使ったことはあまりないのですが、それはこのエッセンスが実体験に基づかない偏見に関するものだからです。オーストラリアなどでは顕著な現象ですが、たとえばアボリジニに対する根強い偏見があります。確かに日本でも外国人、部落民、ほかのアジア圏の国民に対する偏見があるはずなのですが、なぜかこれまで使う機会がありませんでした。

このエッセンスとは直接の関係はありませんが、すべての答えは内にある、とよく言われます。

そのひとつの側面は、自分が何かについて迷った時、自分の心に偏見なく、先入観なく尋ねることによって、自分の内にあらゆる問題への答えを見出すことができるということです。

もう一つの側面は、外から得た知識や情報は、その自分の内にある答えを見出しにくくすることもあろうかと思います。

たとえば、自分の「知(自分が今知っていることですべての問題に対する答えを引き出すことができる)」に自信が持てない場合、誰かほかの人の知識を集め、それを人に語ることにより、自分の弱さをヨロイで守ろうとします。

スピリチュアルなワークショップ・ホリックなどはその一例かも知れません。あるいは、男性がよく述べる蘊蓄もその部分があろうかと思います。

しかし自分の中にすべての答えがあるという前提から出発するとまったく違った態度がとれます。

これは私がクレイボヤンスの学校で改めて確認させられたことですが、アストラル界には人間の魂がこれまで蓄積した経験や知識が蓄えられているところがあると言われます。その場所に行けば、自分がこれまで学んだことがないことであっても、それに関連する知識を得ることができます。一部にはこの「アストラル図書館」とでも呼ぶべきものを利用して、学校の勉強に役立てている人もいるようです。

これは私が何度も書いていることですが、エネルギーの世界では「なんでもあり!」ですので、自分がその場所に行くと決めたら行くことができます。つまり、そのようなことが不可能だと考えることが足かせとなって、その情報の活用を阻んでいることになります。

もし心の奥底から「自分の内にすべての答えがある」と考えていれば、当然の如くこのような情報・知識・経験を活用することができるはずなのです。

主観的現実という概念がありますが、自分の周囲の現実は自分が創り出している、自分の中に存在している、逆にいえば、自分の中に存在しないものは周囲の現実のなかにも存在し得ないということになります。

少しずつこの制限的な「偏見」を手放し、新しい世界を認識してみたいものです。


自殺衝動を抑える


VEフランクルから。

「『赤い風車』という映画のあるシーン。トゥルーズ・ロートレックが自殺しようとした感動的なシーンを思い起こされることでしょう。ガス栓からシューという音をたててガスが流れ出すのが聞こえてくるちょうどそのとき、彼のまなざしが、画架に向けられます。画架には自分の絵の一枚が立てかけられています。そのとき、彼はある間違いに気付きます。彼は、とびおきて、よろめきながら歩き、絵に一筆加えて修正し、それからガス栓を閉めます。……。彼が抑うつ状態を、自殺衝動を抑えることができたのは、ほかでもありません。課題に没頭したからなのです。課題に没頭したおかげなのです。脳外科医のハーヴェイ・カッシングはかつてこう言いました。『人生に耐える唯一の方法は、なんらかの課題をいつもかかえておくことだ』」
 
ここで言う「課題」というのは、悩みとか解決すべき問題という意味ではなくて、きっと自分の魂の表現の場みたいなものなのでしょうね。
 
絵などは典型的ですが、創造性を発揮するということは、自分の魂の、自分だけにしかできない表現ですから、それは目に見やすい形での「課題」なのかなーと思います。
 
でもそれだけではなくて、たとえば仕事で新しいプロジェクトに携わることだって、家族のために働くことだって、目には見づらくても、自分にしかできない創造の場になり得ますよね。
 
家事をしていても、その場を自分なりにキレイにして、家族が気持よい時間を過ごせるようにすることとか、自分が手をかけた食事を出すことだって、子供の世話をすることだって、親としての自分、夫婦の一人としての自分にしか出来ないことですから。
 
上司から言われた仕事だとしても、自分がその場に仕事仲間と一緒にいるということに意味があるならば、それは自分が自分を表現できる「課題」になるように思います。
 
人を使う立場にいる人なら、部下を育て、権限委譲をして、監督もしながら、それでもプロジェクトの責任は自分が負うという表現は、やはり自分の「課題」なのでしょう。
 
もし自分がいてもいなくても大した違いはないと感じている場合は、次の引用を。
 
「『過去の存在』になったものは、失われて二度と取り返せないのではなく、保存されて二度と失われないのです。私たちがなすこと、私たちが作るもの、私たちが体験すること、私たちがしっかりと苦悩に耐え抜くこと、それらは、とにもかくにも私たちがなしたものです。なんらかの意味の可能性を見出し、その意味を実現することでその可能性を現実のものにするなら、その可能性は救い出されて『過去の存在』になったのです。『過去の存在』という存在も、一種の存在です。それは、もっとも確かな存在かもしれません。『過去の存在』として蓄えられたものは、なにものも、また何人も奪うことが出来ないからです。一般に人はいつも、過去を、たんなる切り株畑のように考えます。そのとき人は、過去存在という収穫物でいっぱいの穀物倉を見落としています。人は、ずっとまえから、人生の収穫物を穀物倉の中に取り入れてきたのです。その中に貯蔵されたもの、蓄えられたもの、保管されたものをこの世界から消滅されることは不可能です」
有史以来、人間の魂が考えて感じて経験したこと、その全てがアストラル界に保存されているという話を思い出します。つまり、口に出したり行動したりしたことだけでなく、自分の中で思ったこと考えたこと等そのすべてが保存されてしまうのです。まさに「考えたことはその瞬間に現実に起こっている」わけです。
 
これまでの自分の人生を振り返っても、邪な考えを抱いたことはたくさんあります。それが保存されている場所があって、そこにアクセスしたら自分の内面のすべてが白日の下にさらされるkとになります。怖いですね〜!
 
逆に言えば、だから、自分が誰かのために何かをしたことは、仮にそれが日常的なことであったとしても、また相手や世間に評価されなかったと感じたとしても、きちんと記録されているわけです。つまり「神様はきちんと見てくださっている」とも言えましょうか。
 
近い将来、その穀物倉の中身を全員が見れるようになるでしょう。


「回避性人格障害」


回避性人格障害と呼ばれるものがありますが、ウィキペディアの描写を読んで思いつくままに。
 
自我を強化することが大切ですので、自分がしていて本当に楽しいことを明確にして、できるだけそこにエネルギーを注ぐ癖をつけることをお勧め出来ると思います。
 
例えば、ワクワク・ソースのようなワークを行い、自分が時間を忘れるほど楽しいことが何か、これから何をして楽しく生きていきたいかを考えてもらえます。楽しい純真無垢な幼少期のことを思い出してもいいでしょうね。
 
自分が楽しいことをやっていれば、自然とエネルギーが湧いてきます。多少の挫折を経験しても、あきらめないようになっていきます。止めろと言われてもどうしても止められないほどのものを見つけることが出来れば最高です。
 
感情を出すことに抵抗がある場合もありますので、その場合は一緒に怒ったり笑ったりする練習もよいと思います。これまで感情表現をしてこなかった・それに不慣れなので、感情の出し方がわからないかも知れませんしね。
 
それをサポートするオーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンスとしては、社会の「常識」とは違っていても自分に正直に生きることをサポートするシルバー・プリンセスとか、自分の本質を充分に花開かせるファイブ・コーナーズ、自我を強化するためにワラタとか。
 
自信がないという側面からは、まず自信エッセンス(コンフィド)を1〜2か月飲み続けることもよいと思います。これは最初の一歩としてとてもお勧めです。
 
下の説明にもありますが、一般的に親が過保護だったり、承認を与えてくれていなかった・否定され続けた可能性が高いですから、ボアブボトルブラシなどで親とのエネルギー・コードを切り離すことも有益だと思います。その意味では赦しのプロセス(HPのアプローチ例に説明あり)をすることもいいと思います。通常、自我が出てくると、それを抑圧したきっかけとなる親に対する怒りが湧いてくることが多いでしょうから、まずその怒りを出してしまうこと、怒りの存在を認めて自分にその表現を許すことも大切です。
 
拒絶されること・傷つけられることを恐れていますので、イラワラ・フレーム・ツリーピンク・ムラ・ムラも適当です。これは実際に拒絶された経験(潜在意識に残っているものも多いと思われますが)がある場合、実際には相手は拒絶していなくても自分が拒絶されたと感じた場合にも効いてくれます。これを2〜4週間程度。
 
もともと繊細な性格を持っていることも多いと思いますので、自分のオーラをしっかりを張る練習をするとよいと思います。周囲に過敏に影響されないために。通常このような方はオーラが委縮していますので、意識的にそれを広げるように日々練習するとよいです。体の周囲2メートルくらいに万遍無く拡げて、オーラ・フィールドを自分のエネルギーで満たすようにします。
 
グラウンディングが弱く(地に足がついていない場合)や夢見がちになる方の場合は、オーラを大きく張ることと並行して、オーラをギュッと縮めて集中する練習もすると、リズムが感じられてよいと思います。これをサポートするために、ブッシュ・エッセンスならフリンジド・ヴァイオレットエンジェルソードがオーラを強くして守ってくれますので使えます。
 
人との交流を避けてきたためそれに不慣れな場合が多いでしょうから、自分を出し始めると結構無神経な行動をすることもあろうかと思います。そのためには相手をしっかりと見ること(アイコンタクトなど)と相手と呼吸を合わせるようにするとよいかも知れません。相手と同じペースで話し、相手の呼吸を感じとってそれに合わせるのです。ブッシュ・エッセンスならカンガルー・ポー(不器用)とかトール・ムラ・ムラ(人との交流を促す)やフランネル・フラワーがサポートしてくれます。
 
友人とはそれほど回避的行動をとらないのに、恋人・パートナーに対しては回避性という場合は、親密な関係への恐怖、相手へのコミットメントを怖れている場合などがあるかも知れません。前者ならフランネル・フラワービリー・ゴウト・プラムなど、後者ならウェディング・ブッシュなどでしょうか。
 
個別のエッセンスの説明については、HPのフラワーエッセンス情報の項目や日本語のブッシュのサイトをご参照ください。
 
 
 
 
C‐@回避性人格障害Avoidant Personality Disorder

1969年に心理学者T.ミロンが提唱したもので、精神科医K..シュナイダー(ドイツ.1887〜1967の精神病質概念11類型の中の「無力症型」が、「依存性」と「回避性人格障害」に分けられている。

対人関係の能力はあっても回避することが多い。根底にあるのは「低い自己評価」と「自身の欠乏」である。社会的制止、不適切感、自己に対する否定的評価に対して過敏性の広範な様式であり、成人期の早期に始まり、種々の状況で明らかになる。自分を全面的に認め、受け止めてくれる肯定的な雰囲気にはとけ込め、自然に振舞えるのだが、嫌われたりばかにされたり傷つくのを恐れて社会から身を引き、人との交わりを避け、責任の軽いことしかしなくなる。現代では、マニュアル化、ソフト化された過保護な環境で育ち、辛い経験や挫折を繰り返すことが少なく、幼小時からの万能感を脱却できにくくなった。普通の人なら気にしないような、心ない言葉や態度に敏感でひどく傷つく。


次の項目に4つ以上該当することで示される。

  1.. 批判、否認もしくは拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。

  2.. 相手に好かれていることを確信できなければ、他人と関係を持ちたいと思わない。 

  3.. 恥をかかされること、ばかにされることを極端に恐れるために、親密な関係の中でも自分の考えを表すことに遠慮を見せる。

  4.. 社会的な状況で、批判されること、拒絶されることに心がとらわれている。

  5.. 不適切感によって、新しい対人関係状況で制止が起こる。

  6.. 自分は社会的に不適切であり人間として長所がない。または他の人より劣っていると思っている。

  7.. 恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすことや、何か新しい活動を始めることに、異常なほど引っ込み思案になる。



苦しみを取り除くために


最近暑さに負けて、なかなか作業が進められません。この日記もアップデートが遅れてしまっています。やはり暑いのは苦手です……。

セラピーでもクライアントの方によくお話させていただくのは、自分のエネルギーの状態をモニターして、常にきれいにしておくということです。これをしておかないと自分の軸が揺れてしまって、苦しみが生まれてしまいがちになると思っています。

自分をキレイにする上でいくつかのポイントがあると思うのですが、代表的なものとして:

・グラウンディング: 地に足をつけるということです。しっかりと自分の肉体を地球と結びつけておかないと、高次の情報もはいってきませんし、三次元のこの世界で肉体を使った表現も難しくなります。

・意識を肉体に置く: 自分の意識(自我)をしっかりと肉体のなか、特に頭の中(第三の目の裏あたり)に置くことによって、自分のエネルギー・フィールドに他の人・存在が入ってくるのを防ぎます。

・意識を今の瞬間に置く: 前項は肉体の中に置くことですが、と同時に過去や将来にエネルギーや意識を置いていると、不安になったり、感情が邪魔したりし ますので、今の瞬間、1分前でもなくて、5分後でもない、今の瞬間にだけ意識を置くようにします。まさに「今を生きる」わけです。

・頭を止める: 左脳を使って考え続けていては、直感が感じられにくくなります。直観は思考より遅いですから、頭に浮かんだ最初のことが直感のことが多い と思います。または、直感で得た答えと左脳で考えだした答えに対する自分の感じ方の違いに注意すると、どれが直感でどれが左脳かを判断できるかも知れませ ん。これについては、別項にて詳述します。

・プロテクション: 自分を守ることです。他の人のエネルギーが入っていることは人と関わっている限り不可避な部分があります。問題はそれをそのまま残し てしまうか(そして、自分のエネルギー・フィールドの主権を明け渡してしまうか)、それとも他人のエネルギーをキチンと抜いて、自分をキレイに保つ努力を するかです。もともと憑依体質をお持ちの方(他人のエネルギーに過敏な方、あるいは他人に「同情」しすぎる傾向をお持ちの方)については、これはとても重 要なことだと思います。

これらについて、今後徐々に詳しく書いてみたいと思っています。


グラウンディング


「苦しみを取り除く」の続きです。

まず、グラウンディングですが:

グラウンディングの方法は様々なものがありますので、お好みのやり方があればそれで結構ですが、もしよく分らないという場合には次の方法をお勧めします。

ルート・チャクラから真っ直ぐ下に向けてエネルギーのコードをのばします。エネルギー上のコードですから、自分がそれをイメージすればOK。コードをずっと伸ばして地球の中心に結びつけます。

注意する点は、まず自分の意識をコードと一緒に下のほうに持っていかないこと。意識・自我はしっかりと自分の体の中、特に第三の目の裏に置いておくことが肝要です。

次に自分の作ったコードが曲がったりしていないか、ずっと地球の中心まで届いていることを確認するようにします。しばしば見られるのは、自分ではコードを 伸ばしているつもりでも、途中で細くなってしまったり、前や横に曲がってしまっていたり、あるいは途中に何かが詰まっているケースです。人がぶるさがって いる場合もあります。ゴミは取り除いて、人は送り返してあげて、しっかりとコードを伸ばします。

太さはどの程度でも大丈夫ですが、気持ちがいい範囲で出来るだけ太くしたほうが楽かと思います。個人的には直径1メートルから2メートルくらいが楽な範囲でしょうか。

コードができたら、自分の肉体やエネルギー・フィールドのゴミを全部捨ててしまいます。すると地球はそれを浄化して、最終的に自分のもとに戻してくれますので。

足の裏からのコードも使った3点グラウンディングも有効ですが、足の裏だけを使ったものは個人的にはあまり好きではありません。かなり弱い感じがします。せっかくルート・チャクラを使えるなら、なぜ足の裏のチャクラを使わなくてはいけないの?と思いますので。

自分自身もそうですが、自分はグラウンディングをしっかりできていると思っていても、何度も練習してよりしっかりとしたグラウンディングをすることが大切 だと感じています。時間をかけて練習していくと、これまで自分のグラウンディングが弱かったのかに気づかれることもあると思います。

しっかりと自分の肉体を地球と結びつけておかないと、高次の情報もはいってきません。逆に言えば、しっかりとグラウンディングして安全な環境を作っておけば、必要な情報は自然と入ってくるようになると思っています。わざわざ取りに行かなくても。