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憑依体質

最近、「憑依」という言葉をよく聞くようになりました。

おそらくスピリチュアルという言葉が普及してきたため、そのような「不可視の」世界を意識するようになっているのだと思います。

憑依とは、自分以外のエネルギー存在を自分の中に入れてしまった状態で、程度の差異はありますが、大部分の人に日常的に起こっていることのようです。

この傾向は、よい面を見れば、他人の痛みを自分のものとして感じやすいということでもありますから、とても優しい性格ともいえます。ヒーリングやカウンセリング、ボランティア、宗教的活動など、他人を助ける能力にかけては高いものをお持ちなのでしょう。

ただし、自分のエネルギーは自分のもの、他人や他の存在(未浄化霊など)のエネルギーは自分以外のものなのです。共感の能力は役に立つものですが、その後にきちんとセパレーション(自分以外のものを切り離しておくこと)をしておくことはとても大切です。

人が変わったようになってしまう、どうしてもやめられない癖がある、など比較的深刻な憑依でなければ、自分をしっかりと保つことによって、身を護ることが出来ます

不安感のところでも書きましたが、自分という存在・意識をしっかりと持つこと、オーラの境界を強化すること、既に自分の中に入っているエネルギーを排除す ること(自分のエネルギー・フィールドは自分だけのものですから、異質なエネルギーは排除することが出来るはずです)などによって、軽度の憑依は対処出来 ます。

重度の場合は、しっかりとした「除霊」をすることが必要ですが、その場合でも、自分の自我をしっかり持っていないと、また同じような(共鳴する)エネルギー存在を引き寄せてしまいますので、根本的な解決策になりません。

つまり、憑依されるのは、自分の中にそのエネルギーと共鳴するもの、ネガティブなものを持っているということですので、自分の波動を高めること、そして日々幸せと感謝の念を持ちながら自分らしく生きること、これが根本的な解決の鍵だと思います。


セラピーでは、上述のことを中心に(個人によって異なりますが)、エネルギー的なワーク、自分の中で共鳴している部分の感情解放ワーク、フラワーエッセンスやヒーリングによるオーラ・自我強化などをさせていただくことになります。

恋愛と大きな愛

単純化すると恋愛モードにいる時はインナーチャイルド(癒されていない内なる子供)が主に働いているように思います。

つまり、相手に愛してもらいたい、自分一人だけを見てもらいたい、自分の思い通りにしてもらいたい、相手が欲しい、という小さな愛

これが片思いの場合は一つの恋愛経験ということになりますが、両思いの場合(お互いがチャイルドモードの場合)は極端に走ると心中モードになります。二人 は「愛し」あっているのに、周囲がそれを受け入れてくれないという心理状態。

他方、大人の愛情、大きな愛になると、相手のことをまず考えるようになるように思います。

一つの例ではセラピスト的なモード。相手が自分に対してどのような感情を持っているかは関係なく、自分のチャイルド部分を横に置いておいて、相手に共感でき、相手のために自分は何が出来るかを考え、相手のことをケアすることができる状態です。

このモードにいると、相手の話に共鳴している自分のインナーチャイルドを客観的に観察することが出来ます。話を聞きながら、自分のなかに湧き上がってくる 感情や感覚を、第三者の大人として観察し、その共鳴具合を楽しむことさえ出来る。

このようなモードにある時には、自分の口から思いもしなかったような発言が出てきて、一体誰が話しているんだろうと思うことも多いです。

ここで一つ重要なのは、このようなモードにいる時には、自分のチャイルドを無視したり、抑圧したりしてはいけないということ。

なぜ、この相手は今のタイミングで自分の前に現れ、このような話をしているのか、自分はここにどのようなメッセージを見つけるべきなのか、相手が自分が何 かに気づくためにわざわざ現れてきてくれている、などと考え続けると謙虚な態度を保つことが出来ます。

ここでチャイルドを抑圧してしまうと、ハートが閉じてしまい、本当のコミュニケーションが出来ないようになってしまう危険があります。抑圧・無視するより は、寧ろ横に置いておいて、第三者として観察して楽しむことが大切なカギだと思います。


チャイルドの部分は、それ自体は悪い存在ではなくて、人生の経験を豊かにしてくれています。

純粋さ、無垢さ、喜び(JOYというよりFUNの部分)をもたらしてくれるし、それが健全な形で出ている限りは、自由に表現されたほうがよいと思います。これが創造性の原動力ともなることが多いですし。

問題は、チャイルドに基づいている行動をなんら判断せずに、そのまま出してしまう時です。ここでは大人としてのフィルターが機能していないことになります。

過去のことについては、チャイルドがそのまま出てしまった行動を大人のフィルターを通して見直してみて、そこで学ぶことを認識すること、将来のことについてはチャイルドから出てきたものを一回大人のフィルターで処理してから実行に移すこと、が肝要かと考えます。

情熱というのはチャイルド的な要素が大きいようですが、それ自体は悪いわけではありません。

例えば、愛する二人なら、お互いに情熱を出して、相手から情熱を求めることも許されるし、それが大きな悦びに繋がることも多いと思います。これは大人の フィルターを通しても首肯されるべきことであればよいと思うのです。

大人のフィルターについては、世間の常識との違いを認識することも大切に感じています。これについては別項で若干書かせていただいてます。

人類の意識の進化は、価値基準(愛の実践の方法)を外部から与えられる立場から、それを自分の内部で作り出す・決める方向に進んできているようですから、 大人のフィルターを育てるためには自分の「ハイアーセルフ」と繋がることもこの一つの方法かと思います。

自殺

自殺傾向を持っている方に対して私が最初に申し上げているのは、自殺は人間の魂にとってある意味最大級の罪となるということです。

というのは、私達の魂はこの地上に何らかの学びをするために降りてきているといわれていますので、自殺はそれを自ら放棄することにあたるからです。

私たちが肉体を持って、この地上にいる限りは、周囲の人からの助けを得ることも出来ますし、更なる経験をして新たな学びをすることも出来ます。

しかし、自殺してしまうと、その時の精神状態に留まってしまうことが多いのです。そしてその状態で外部からの助けを受けることはとても難しくなります。

いわゆる未浄化霊というのがあります。恨みなどの感情を抱いたまま死んでしまい(自殺とは限りませんが)、その恨みを抱いたままずっとそのまま暗闇に留まっている魂です。

その魂の周りには同じような未解決の感情を持った存在が集まってきて共鳴していきますので、状態はさらに悪化します。

自殺を考えるほど追い込まれている方には、退路を塞ぐようなことになりますが、自分の苦しみや悲しみから解放される唯一の方法は、それから目を逸らさないことです。

自分独りで苦しむ必要はありません。自分の課題に真正面から取り組むと決心さえすれば、周囲にはそのプロセスを助けてくれて、話を聞いてくれる人やエネルギー存在が見つかります

例えば友好的な自然は癒しを与えてくれていますし、世界の波動を上げようと絶えず愛を与えてくれている人も存在しています。その助けを受取ることを決めること、それが解決への第一歩です。


直観力

直感が鋭い人がいます。

人が何を感じているのかすぐにわかってしまうとか、近い将来の出来事を予言できたり。生まれつき透視能力を持っている人もいるようです。

ある意味では、人のためになることが容易に出来るなど便利なことではありますが、このような人はオーラの境界が弱い場合もあり、しっかりと自分を護る方法を身につける必要があるように思います。

色々なエネルギー存在・霊的存在がいる場所に行って、知らないうちにそれらを背負って帰ってきてしまうこともあります。

生まれつき透視能力を持っている人でない限り(少なくとも自分ではそのような能力を意識していないなら)、自分が経験している苦労や人生の課題の意味を理解することは容易なことではないと思われます。

もちろん、そのような能力を持っている人に見てもらうことも一つの方法ではありますが、どの霊能力者が信頼できるのかを判断することも難しいです。

ここで勧められているのは、自分の能力を開発・再発見することです。実は誰でもそのような能力を持っており、それは特殊な能力ではないとされています。

例えば、理由がないのに誰かのことを思い出したり、何かを思いついたりした瞬間には、その人は何かのメッセージを受けている可能性が高いからです。それを単なる思い付きとして、分析脳を用いて意味のないことだと考えてしまうのはもったいないことです。

もちろん、それらの本当の意味を理解することは簡単ではないケースも多いですが、そこから自分の感情の影響を排除していくと、メッセージがハッキリしてくると思います。

ここで、私が時々やっていることですが、もし私が誰かのことを「〜な人だ」と感じた場合、例えば「この人はワガママだなぁ」と思ったときには、実はそれは自分自身が何かワガママなことをしている可能性を示していることかな、と思います。それは目の前の人に対してワガママな態度をとっているとは限りません。

まさに、他人は自分の鏡なのです。

もう一つの方法は、自分の内なる声を聞くように努力することです。

最初は内なる声は聞き取ることが出来ないかも知れませんが、自分に何かの質問を投げかけた後には、常に何らかのフィードバックを受取っていると信じています。

このためには、まず自分の体と仲良くすること(睡眠や休息をとる、体が喜ぶようなものを食べる、など)、それから自分と向き合う静かな時間をとること、です。

この地上にはエレメンタルと呼ばれるエネルギー存在が働いており、それらのお陰で水は流れ、物はその形を保ち、太陽の暖かさを感じることが出来ると言われます。同じように自分の中にもエレメンタル存在がたくさん働いてくれており、体に入ってきた異物を排除し、栄養(エネルギー上のものも含めて)を吸収し、細胞の再生を助けてくれています。

これらをボディ・エレメンタルと呼びます。

しかし、私達は自分のなかのエレメンタルと仲良く出来ていない(その存在さえ意識していない)ために、自分のエレメンタルが指示を受けているいわゆるハイ アーセルフや天使などのメッセージが受取りにくくなっているように思うのです。

自分のエレメンタルと仲良くして、日々瞑想などの静かな時間を持つことによって、自分の直観力を訓練することが出来ると思います。そうすれば、無駄な心配や苦しみや悲しみを感じることは少なくなる、或いはそこから素早く抜け出すことが出来るようになります。


世間の常識


いわゆる「世間の常識」というのがあります。それに従っていれば、取りあえずは問題はない、というものです。しかし、よく考えてみると、これほど安定していないものもないのではないでしょうか。時代によって「世間の常識」はころころ変わってきましたし。

わたしたちは自分の判断基準を創り上げていくときに、いろいろなところから情報や価値観を受け容れていきます。

最初は親から、それから教師、本、社会、宗教、メディア、周囲の尊敬できる人などから。しかし、それら外部基準に従ってきても、何かうまくいかなかった時 には、誰を責めることもできませんし、その外部基準が変わってしまうと果たして自分は何を信じていいのかわからなくなってきます。

私は、最終的には自分の基準は自分で決めるしかないと思っています。

人の霊的成長の段階として、まず自分の生存を確保することが大切な段階、次に自分の外部の価値基準を受け容れていく段階、その後に価値基準を自分の内部に求める段階、というのがあるようです。

私は、誰かが「そんなのは世間の常識でしょ!」と言うたびに、私の反抗心は刺激され、天邪鬼に反応してきました。この反抗するために反抗するという態度もいただけませんが、でも自分のなかのフィルターを一回どうしても通しておかないと納得出来ない、という気持ちがあるようです。

もっとも、最近の日本に顕著なようですが、昔からの「知恵」を軽視する傾向も危険を感じています。例えば、便利性や経済性を優先した、「新しい」やり方というようなものです。

例えば、食べ物は本当に栄養素だけの問題なのでしょうか?スーパーなどで売られているジュースには濃縮還元のものが多いようですが、私たちがジュースを飲 むことによって吸収しているものは、この濃縮と還元のプロセスで失われていないのでしょうか?

食べ物については、自然霊(或いはエレメンタル存在)と密接に関連していますので、別に書きたいと思いますが、昔の人は現代人よりも自然のエネルギーをよく理解していましたから、そこで培われた「知恵」は軽視されるべきものではないと感じることがよくあります。

食べ物

10年ほど前にイギリスでスーパーにオーガニック(有機)の食べ物が広く並び始めた時がありました。

最初はスーパーの一角だけにしかなかったのですが、それが徐々に広くなって、あっという間にスーパーの選択肢が増えてきました。最初に広がったのは恐らくベビーフードでしょうね。自分達が食べているものはいいとしても、これから体を作っていく自分の子供には出来る限りいい質のものを食べさせてあげたい、という気持ちでしょう。

ということは、普段自分達が食べているものの質(残留農薬など)をそれなりに気にしている人が多いということで、これは私にはちょっと意外なことでした。

と同時に、オーガニックと書いてあれば何でもいいのか、ということもあります。

例えば、スーパーの店頭に出る前に商品が倉庫に眠っている期間ありますから、そこで失われるエネルギーも無視できません。そこで、信頼できる生産者から直 接仕入れるサービスが広まり、実際にそこから買ってみると、野菜などの新鮮さには驚かされた記憶があります。

食べ物について、最近思ったのは、私たちが口にした食べ物は体内で分解されて吸収される、それだけのプロセスなのだろうか?ということです。これでは人間 の体内のプロセスはすべて化学反応によって説明し尽くされるということにならないだろうか、と。

ある見方によれば、私たちが食べ物を食べると、そこに含まれているエネルギー(カロリーというものではありません、波動のようなものです)を吸収しているのだとされます。つまり、実際に口にいれているものは、そのエネルギーを取り込むための媒介なのだとされているようです。

つまり究極的には、将来私たちのバイブレーションがさらに高まり、粗雑な部分(物質的な部分)が重要でなくなってくると、私達は食べ物を実際に口にいれる 必要はなくなり、そのエネルギーのエッセンスだけをを吸収すればよくなるとされています。

まあ、一挙にそこまでいかなくても、現在の進化段階においても、食べ物を作りだしたエネルギー(植物などを育てているエレメンタル的存在)の質というのが重要なことは間違いないようです。

とてもハッピーな環境で育った食物(植物・動物)は、そうでないものに比べてよいエネルギーを持っているということになります。

ギュウギュウに押し詰められた鶏舎で育った鶏と自然の環境で動き回った鶏では、そのエネルギーは違うのです。また、これは食べ物に限らず、例えば製造過程 で行われていること(例えば非人道的な動物実験など)は、その最終製品にエネルギー的には影響があるようです。

謙虚さ

いわゆるニューエイジとかスピリチュアル、或いは自然系の世界を見ていると、そこにいる人々がとても硬化しているように感じることがよくあります。実際私もその世界にどっぷり浸かっていた時代もありましたから、批判は出来ませんが。

例えば、宗教的、精神世界系の教えになかには、自分のところのものが最高であり、その他のものを排除しようとする傾向がよく見られます。キリスト教を信じていれば、イスラム教は排除する、ホメオパシーを信じている人はそれ以外のものを排除する、といった傾向です。このような傾向は、私の個人的な経験でも、シュタイナー、ホメオパシー、各種宗教、自然食品などで感じることがありました。

私も以前はほとんど菜食主義になっていた時期もありました。現在でも赤肉を食べると体調が悪くなりやすいのですが、それでも体が欲している場合は、逆らわ ずに食べるようにしています。その結果、自分の思い込みではなくて(体に悪いと思って食べていると体調を悪くしますからね)、実際に体に悪かったなと思え ば、それは「目が欲しかった」ということだと思うようにしています。ひょっとすると、そこには感情的な課題が隠れていることもありますが(例えば、無性に 甘いものが欲しいなど)。

あるいは、私がイギリスで経験したホメオパシー教育で感じたことですが、ホメオパシーさえあれば、ほかのセラピー、モダリティは不要だと信じている人もい ます。あるいは逆に既存の近代医療は進んでいるから、ホメオパシーや中国医学、アーユルベーダのような「古い」モダリティは無価値だと信じている人もいま す。私は、近代医療の特に検査システムや外科的な可能性は、以前にはありえなかったことを可能にしており、ユニークな価値があると思います。

要するに、いかに自分が正しいと思っていることでも、それ以外の考えをする人には、それなりの敬意を払う必要があるのだろうな、ということです。もちろん、それによって自分の考えを変える必要はありません。でも他人を判断することはしてはいけない、それが今の時代にそこにあるということには出来る限り謙虚な態度をとりたい、と心がけています。

ここで思い出すのは、ルドルフ・シュタイナー(人智学の創設者、精神世界・教育・芸術・医療など広範囲にわたって講演・著作を残した)の人のエピソードです。

シュタイナーは霊的な立場から、肉食の霊に与える悪影響について数多くの講演をしているのですが、ある時ヨーロッパの都市を訪れて、川下りのツアーに参加 したことがありました。シュタイナーに同伴した現地の人は菜食主義ですので、ツアーの途中食事をとるときに、そのメニューに菜食のものがなくて仕方なくサ ラダだけを注文しました。最後にシュタイナーの番になって、彼はステーキを注文したということです。びっくりする仲間に対してシュタイナーは、これしか食 べるものがないなら、それを食べることがこの時代に対する敬意・謙虚さだと説明したそうです。

他人が幸せなら自分も幸せ

愛について考えていると、どうにかして自分の満たされていない部分を埋めようとしている「恋愛モード」「小さな愛」の段階だと、自分の求めているものを与えてくれる場所にいようとすることになります。恋人、パートナー、あるいは家族でもそうですが、結局は自分が欲しいものを相手から引っ張り出そうとすることになります。

しかし、自分が求めるものは限界がありませんから、結局はいつまで経っても満たされない・欠乏感が消えないということになるように思います。いわゆる「自己愛」「小さな愛」「引っ張る愛」です。

では、それをもう少し大きくして、周囲の人が幸せであれば自分も幸せだと 感じることが出来れば理想的です。よく言われるように、自分が一番求めているものを周囲の人に与えることによって、それが自分を満たしてくれるという状態 です。自分が寂しさを感じているのであれば、周囲の寂しそうな人のために何かをしてみる、自分が怒りを感じているなら、周囲の怒っている人のために何かを してみる。そうすると自分の一番満たされていない部分、傷の部分を癒すことが出来るわけです。まさに、情けは人のためならず、です。911事件の時に「神 との対話」シリーズのニール・ウォルシュが出したメッセージに同じことが書いてありました。これが「他者愛」「与える愛」「大きな愛」

日頃、人生での様々な出会いは基本的にその機会を自分に与えてくれるためにあると思っています。つまり究極的には自分の状態・自分の今の課題を知りたけれ ば、自分の周囲の人の状態を見ていればわかる、ということになります。周りに怒っている人がいれば、それは自分の内部に未消化の怒りが残っているのではな いか、それを見たらどうですか、という天からの招待状だと考えるわけです。

ただ、しばしば感じることがあるのですが、確かに自分には何もいらないから、他人が幸せであればいい、それが自分の一番の幸せである、という段階に達する ことは可能だとは思います。また、それを心がけている人がいわゆる精神世界に生きている人にたくさんいるようには感じているのですが、そこで自己犠牲の要素を感じることがあるということです。

つまり、自分の理想とする「与える愛」「大きな愛」を実践しようとしているのだけれど、そこまで一足飛びに行く前に自分の中にあるものをよく見ることも大 切だと思うのです。というのは、これまで自己犠牲の癖がついてきている人、つまりガン傾向を持っている人にとっては、自分のコップを満たすことの感覚が薄 いこともあり、自分の中に重く抑圧されている怒りや悲しみに気付いていない場合があります。そのような場合、まず自分をハッピーにすること、自分のニーズ をしっかりと見つめることがまず第一歩なのではないでしょうか。

自分の幸せ・ハピネスを犠牲にすることは自由意志を持っている人間としては一番してはいけないことで、それは魂の存在理由を否定することになると思ってい ます。自分のコップが満たされていない人が他人のコップを満たすことが出来ないのと同じです。

もちろん、自分のハピネスを他の方法で達成できる人はそれで もいいんですが、ややもすればそれは修道女的な態度になってしまいます。これは自分のニーズを無視、抑圧することになって、内なる怒りを抱いたまま生きて いくことになるように感じます。魂にとって自分の存在理由を否定されることは、とても強い内なる怒りを引き起こすからです。これは「大きな愛」「他者愛」 と一見同じですが、大きな違いがあるように思います。

では、自分のハピネスを地上で満たすことは本当に出来るのか?が問題になりますが、自分がへこんでいる時には、これほど難しいこともありません。どうして も強い欠乏感が出てきて、どうしても自分のバイブレーションを高めることが出来ないと感じることもあります。感情の渦に巻き込まれて、穴に埋まり込んでい るような感覚。

そのような時に、感情の解放、エネルギーの解放が行えればいいのですが、まずそれをやってみて(自分のオーラやチャクラからエネルギーを取 り除く)、それでも自分の幸せの天秤がどうしても欠乏感のほうに傾いている場合、その天秤の片方に圧倒的に強い・大きな愛の存在を載せることが出来れば、 つまり自分が満たされているという感覚を得れば、自分の軸がぶれないで、人のために尽くすことが出来るようになります。

人によっては、自分のハピネスの天秤のもともと大きな愛の存在、例えばキリスト存在のようなものを載せているという感覚があって、地上で他人から愛をもら えない経験をしても、自分の欠乏感を癒すことが出来る、自家発電出来る人もいるようです。このような目的のために宗教というのはあるのかも知れません。

もちろん、森を散歩して自然からの癒しを受けることも一つの解決策でしょう。自然は資源が本当に豊富で、こちらが求める限りはいくらでも癒しを与えてくれま すから。

でも、本当に自分の欠乏感が強くてどうしようもない時、すっかり穴に落ちてしまったときには、これでも足りないと感じることがあるかも知れませ ん。そのような時に、大きな愛の存在(高次の霊的存在を前に瞑想する、地球の様子を大気圏外から撮った映画を観るとか、良質な芸術作品の霊的エネルギーを 受取るとか)に自分を開くことが出来れば助かりますから、日頃から自分のなかでそのような資源を増やすようにすることも大切なのでしょうね。

感情を解放する

 その昔、ある結婚披露宴で「結婚前は目を大きく開いて相手を見ろ。結婚したら目を半分だけ開いておけ」というようなことを聞いたことがあります。結婚してからは相手の短所などが目につくようになるが、それはそのまま受け容れなさい、ということかと思います。当時はそんなものかなー、と思っていましたが、 今考えるとそれは「受け容れ」方によります。

 相手の短所が気になる度に、その自分の感情を抑圧したり、無視したりし続けていては「受け容れ」ていることにはなりません。相手の短所(と自分が感じる もの)も含めて、目を逸らさずに相手を見つめていく、そして相手の状態を現状のまま敬意を払って受け容れる、ということが大切なように思うのです。

 相手が怒りっぽいとして、相手の怒りが出てくるたびに、自分にも怒りの感情が出てきたり、或いはその場からただ逃げ出したくなったりするかも知れません。しかし、そこに出てきている感情は自分の中から出てきているのです。相手の怒りはそのキッカケとなっただけ。相手から怒りの感情が出てきても、自分の 心には波風がたたないこともあるかも知れません。つまり、相手が自分の前で怒っているのは、ある意味では自分が内部に持っている感情を表面化させる「機会 を与えるため」だった、という風に考えることも出来ます。これで自分は表に出したかった感情を表現することが出来たわけです。自分を少しだけ自由にするこ とが出来た。その意味では相手に感謝しなくてはいけないくらいです。

 また、相手からどのような感情が出てきていようとも、それは相手が内部に溜め込めた感情を出しているだけで、その場にいる自分自身の価値にはまったく関 係ないことです。自分の価値を規定しているのは、社会の「常識」でもなくて、特定の人による評価でもないのですから、相手が自分をどのように思おうとも自 分の価値は変わりません。だから相手が感情を出していても、それだけで自分が何かを失っているわけではない。

 もともと感情というものは素直に出してあげれば、体のシステムを素早く通り抜けて、そのまま出て行ってしまうものです。小さな子どもが、ギャーと泣いて もすぐ気分と取り戻して機嫌よく遊びだすというのと同じです。その感情はその場で完全に表現されて、体には何も残りません。

 でも大人はそうはいかない場合が多いです。公衆の面前でギャーと泣くことは「出来ない」ので、その感情を内部に溜め込みます。十分に表現されなかった感 情は内部に残り、体のシステムに負担をかけ続けます。感情的なしこりがあるだけ、体内の自由なエネルギーの流れが阻害されます。体はこれをどうにか表現し てしまおうとしてそのキッカケを待っています。その時に、自分の目の前で怒っている人がいると、その相手の感情に共鳴して、自分のなかに溜め込まれた感情 が外にでてこようとします。

 そのキッカケを目の前の人は提供してくれました。自分のなかに感情の波をたてる相手(の「欠点」だと感じられるもの)は、そのために自分の目の前に現れてくれた。自分がその気付きを得ることが出来れば、外的な状況は自分には必要ではなくなるので、相手の状態がまったく変わらなくても(相手は相手のペース でしか変わらないから)、その状況が気にならなくなったり、目の前から消え去ったりする、と思います。

子育て

子供を持つと、まず感じることがあります。それは自分の自由にはならないということです。

新生児は24時間の世話を要求してきます。いつ寝るか、自分のやりたいことが出来るか、いつ何を食べるか、発熱や下痢など何か問題が起きた時にはその解決まで、さまざまなものを常時求められるわけです。

究極的にはこれが親の大人としての成長を助けてくれるのですが、自分が実際にその状況に置かれると、誰にとっても、特にこれまで比較的自分の自由にしてき たタイプの人にとっては、これほど自由を奪われる状態はとてもつらいものになってしまいます。しかし子供の要求はとりあえず変わりませんし、とてもストレ スが溜まってしまうこともあります。

そこで最終的には、その状況を自分の思い通りにしようとする気持ち、それを手放すかどうかが 求められている場合が多いように感じます。新生児なら新生児なりに寝ている時間が長いわけですから、そこで自分の体を休めるなり、どうしてもやらなくては ならないことをやるなりの時間の管理が必要なのです。そしてその時間で自分の健康・精神状態を維持できないなら、何かしらのものを手放すことを考えること を試されているという風に考えることも出来るように思います。


さらに少し子供が大きくなってくると、自我が出てきて「ワガママ」になってくるように感じます。それがストレスになって、思わず子供を怒鳴ってしまう、無 理やり言うことをきかせてしまう、ということになります。

これは、ある意味では子供は自分の要求がどこまで通るものなのかを試行錯誤して学んでいるということでもあります。したがって、子供が要求しているものを全部与えてしまってはいけないのです。

また、自分と外界の境界を学んでいるということですから、そこで保護者が設定した境界が都度ぶれてはいけないということでもあります。同じことを要求して も、親の機嫌などによってある時は許され、ある時は許されないということは、境界を学ぶ際にはとても混乱させることになってしまいます。そして、通常の状 況ならば(つまり現実的な危険がないなら)外界に手を加えることは、子供にとっての境界の邪魔になります。つまり、親が必要以上に手を出して助けてしまうと、子供にとってはその親の手助けのある状態が外界となり、毎回手助けを期待することになってしまいます。

もう一つの意味としては、子供は確実に保護者のボタン(つまり未解決の感情など)を押してくれる、ということです。ある意味では子供の魂による保護者に対する、とても大きな愛の実践なのですが、親の内部に怒りや自尊心の問題がある場合、子供が確実にそれを刺激するようなことをしてくれます。

これは子供にとってみれば、条件付愛を経験することによって自分の成長過程で本当の「愛」を学ぶ材料をもらうということでもありますし、保護者にとってみ れば子供のワガママによって出てきている感情は自分の中にあった未解決の問題なのだという気づきを経験することになると思います。

しかし、ある親にとってみれば、それは自分がなかなか直面することが出来なかった課題ですから、子供に押されるボタンはとても痛み・苦しみを伴うものにな ることが少なくありません。でも、本当は保護者の魂の学び・成長のために、わざわざ子供の魂はそのような状況を惹き起こしてくれている、のですから、でき る限りその感情から自分を引き抜いて、一歩下がって見直してみれば、子供の魂による大きな愛の実践を感じることができるように思います。


と、同時に無視出来ないのは、通常子供は保護者を癒すために、とても大きな犠牲を払っていると いうことです。これを犠牲と呼ぶのはふさわしくないのかも知れませんが、例えば親のエネルギーの影響を子供は常時かぶっています。それも甘んじて受けて、 親の苦しみや負担を軽減しようとしていると考えることが出来ると思うのです。実際、子供の病気の原因の一部は、親や子供の周囲の人の状態にあることが多い ようです。それはペットも同じです。ペットの病気を見てみると、実はその原因の大部分はペット自身にはなく、そのオーナーの問題が反映されているのです。

もちろん、子供自身が持っている原因もありますし、子供が自分の体を作り変えていく過程で様々な「病気」に罹る必要もあります。 通常の発熱などは、ある意味では子供が自分の体を作り変えていくとても効率的な方法なのです。ですから、闇雲に解熱剤を使うことはあまりお勧めできませ ん。ホメオパシーなどでは、この種類の発熱については、熱を下げるのではなく、逆に一瞬上げてあげることによって、高熱の時間を短縮することを狙っていき ます。

セクシュアリティ(ED)

性に関する悩みには様々なものがありますが、男性のEDについてだけ。

以前にEDについて使われるエッセンスを調べた時に少し不思議だったことがありました。

オーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンスだと、スタート・デザート・ローズ(Sturt Desert Rose)が使われていたからです。という のは、このエッセンスは、罪悪感に関するエッセンスだからです。

そこで気づいたのは、肉体的な原因がない場合、あるいはそれが副次的なものである場合、EDの背景にある感情は罪悪感であることが多いということです。

罪悪感と言っても、セックス自体を悪いものとして考えている場合もあるでしょうし、自分の性的嗜好(異性愛か同性愛かといったような)と異なる場合もあるでしょう。

特に興味深いのは、パートナーに対して何らかの罪悪感(例えば、相手が楽しめていないことに気づいている、浮気などをしている、など)を抱いている場合、あるいは自分に対して罪悪感を持っている場合です。

自分に対する罪悪感というのは、例えばその関係が自分の望んでいるものではないということに気づいてきている場合などに出てきます。自分のハートが望んでいないことをするというのは、ある意味では自分にウソをついていることになりますから、潜在意識にはしっかりと罪悪感があると思われます。魂は本当はその関係に喜んでいないわけです。

もちろんその関係がうまくいかないということでは必ずしもありません。その関係性のなかに何か取り組まなくてはいけない課題があるということを示していますから、例えばブッシュ・エッセンスであればウェディング・ブッシュ(Wedding Bush)などを使って、それを意識化すればよいのです。

楽しくない

最近、生活がつまらない。楽しいことがない。ワクワクしない。と感じたことはありませんか?

私なんかも、よくこのように感じることがあります。

そんな時は、気分転換にショッピングをする、スポーツをする、友人と遊びに行く、お酒を飲む、恋人を見つけようとする、仕事に打ち込む、リラクセーション をする、などをする人も多いと思いますが、でも正直、これらは一時的なもの、あくまでも自分の気分を変えるキッカケにすぎません。

ではどうすればよいのか? これについて思ったことを書いてみたいと思います。

まず、つまらない、ワクワクしない、ということはどういうことなのか?

結論から先に言ってしまえば、自分がやりたいことをしていない、ということかと思います。ニューエイジ的に表現すれば、自分の魂が求めることをしていない・自分に正直に生きていないのです。

自分が本当にやりたいことをしている時には、その人は喜びを感じますから、楽しくない、ワクワクしないというのは、自分が本当にやりたいことをしていない、という魂の叫びです。

では、自分がどのような時にワクワクするのか、を見つける必要があります。

これもある意味では簡単なことです。これまで自分が楽しかったことを思い出すのです。

もちろん、自分以外の「外部」から楽しみを与えてもらうこともあります。ショッピングや友人との会話は、その例です。でも、それらは自分にとっては「外部の資源」ですから、例えば恋人と一緒にいる時はワクワクするけれど、離れてしまうと楽しくない状態に逆戻りしてしまいます。

これの度が進むと、外部の資源を使ったワクワク状態に「依存」して、それに「中毒」に なってしまいます。ショッピングでストレス解消する癖がつくと、ストレスを感じるたびにショッピングに出かけ、本当は不要なものまで買ってしまうのです。 お金をこのように浪費してしまっては、お金も逃げていきます。同様に、人間関係でも相手に依存してしまっては、最終的には相手は逃げていってしまうという ことになりかねません。

では「外部の資源」に依存せずに、楽しみをどうやって見つけたらよいのか?

誰でも、これまでの人生を振り返ってみて、自分が本当に楽しそうにしていた瞬間を思い出すことが出来ると思います。それは本当に一瞬だったのかも知れませ んが、それでもその瞬間は自分が本当に楽しかった、ワクワクしていた、輝いていた、という瞬間です。

それは南の島でリラックスしていた時かも知れませんし、好きな映画を観た時かも知れません、好きな人とデートをしていた時、瞑想していた時、ボランティア で人助けをして相手から感謝された時、コンクールで優勝した時、などなど。

それをいくつか思い出したら、それらに概ね共通するテーマ・状態というのを考えてみてください。ひょっとすると、ある傾向が浮かび上がってくるかも知れません。

私の場合、人とハートで繋がる、というのが、一つの共通なテーマであることに気付きました。スポーツで仲間と心を一つにして頑張った時とか、相手の話を聞 いていて相手の置かれた状況が手に取るようにわかった時など。あるいは、映画などで主人公が生命の危機を乗り越えようと必死になっている瞬間を見るとかも そうだと思います。これは相手がいる場合ではありませんが、その主人公の本当の核・本質みたいなものが出てくるのを感じ取ることが出来るので、そこで主人 公の本質と私の本質が共鳴しているのが感じられるからです。

最初はテーマがわからなくても、いくつか思い出してみると、ある程度の傾向が見られると思います。自分は人と話をするのが好きだとか、仲間と心を一つにす るのが好きだとか、あるいは自然の中にいて自分の緊張が解けた瞬間が好きだとか……。

自分が楽しい状況を思い出したら、その特定の状況をさらに詳しく思い出してみてください。自分が楽しみ・幸福感・ワクワクを感じた瞬間に、周囲には何が見えていたでしょうか?自分はどのような格好をしていたでしょうか?季節はいつだったでしょうか?何時くらいだったでしょうか?相手がいるなら、どのような話をしていたでしょうか?

過去の楽しい状況を思い出すと、しばしばそれが今は自分の目の前にない、という方向に考えが向いてしまうと思いますが、これは不要なことです。問題は、自 分がその瞬間には楽しみ・ワクワクを感じていたことを思い出す、その過去の瞬間を今の瞬間に持ってくる、ということなのです。

すると、まず、幸せ・ワクワクを感じていたのは、自分自身の内部であることがわかると思います。つまり、過去の状況を思い出して、それを再体験することはいつでも可能なのです。それも外部の資源を使うことなく。

外部の資源がある時にはそれを使えばよいのですが、仮にそれがなくても、過去の幸せを再体験することはいつでも本当は可能だと思います。

自分の人生を取り戻す

5月病などもそうですが、何かを達成して(例えば受験を通り抜けて学校に入学して)目の前の目標がなくなると、「さあ、次は何をしたらいいのかな?」とか「目標は達成したけれど、こんなものか」などと感じてしまい、やる気がなくなってしまう状態に入ることがあります。(オーストラリア・ブッシュ・エッセンスならバンクシア・ロバーなどが使えるかも知れません)

特に学業ではそれなりの優等生であった場合、自分がこれまで目標としてきたものが誰かから与えられたものであることも多いです。

つまり、社会的にそれがいいことだと考えられているから、とか、親がそれを望んでいたから、ということで、自分が本当にそれをやりたいのか否かをそれほど 真剣に考えてきていない場合は、このような状態になりやすいように思います。(サザン・クロス)

次の目標は自分で決めるしかありませんから、困ってしまうわけです。

まあ、そのままいい大学に入って、いい会社にはいって、そこで出世して……、というレールに従って進んでいくことも出来ますが、それは本質的な問題の先送りにしか過ぎません。

会社でも仕事がやってくるのを受身で待っているタイプの人もいます。そのような人の使いにくいことと言ったら! 自分で果敢に取り組んでいくこともせず、そのような人に限って自分が失敗したりすると責任回避、最悪の場合、責任転嫁を始めたりします。(サザン・クロスやカンガルー・ポーなど)


そのような方の場合、子供の頃を思い出してもらうと、親が過保護で何でも先回りして世話している場合があるように思います。つまり、自分で最初から最後までやり遂げた経験が少ないということです。

親のほうも、それが親の愛情だと思っている場合、子供がいい歳になっても、過保護にしている場合もあります。

親はいつまでも一緒にいられるわけでもありませんし、子供の人生は親の人生とは別のものですから、どこかの段階で子は親離れ、親は子離れをしていかなくてはなりません。(ボトルブラシ、ブルーベル)

あるいは、別のパターンでは、子供が一所懸命にやったことを認めてあげられない親も います。何かと子供のことを批判する発言を繰り返すなど。子供は親に認めて欲しい、本当に受け容れて愛して欲しいと思っていますから、このような卑下され るような発言を繰り返されると、自尊心が育っていきませんし、とても傷つきます。(ファイブ・コーナーズ、コンフィド・エッセンス)

このような繰り返してきた人は、自分の判断に自信を持つことが困難に感じやすくなり、自分の人生の選択を回避し始めます。他人に判断を求めたり、判断基準 を社会の常識と呼ばれるものに依存したりすると、結局は自分の人生を生きていない、ということになります。

自分の人生を生きていないと本当の意味で喜びも感じることができなくなりますし、自分の本質を表現して、この地上で自分なりの何かを創造することも難しくなってきますから(ターキー・ブッシュ)、人生をもう一度自分のものとして取り戻すことが大切なのだと思います。(シルバー・プリンセス、ボトルブラシ、スタート・デザート・ローズ)

ダメ男ばかり好きになる?

「お悩み」に対して、一般的なアプローチの仕方みたいなものを簡単に考えてみます。それぞれ適当なレメディやフラワーエッセンスもありますが、ここでは省略します。


>>ダメ男ばかり好きになる

「ダメ男」の質にもよります。

もし自立できていないマザコン男ばかり好きになってしまうなら、それは相手に母性を提供するあなたの練習なのかも知れません。

というのは相手が求めているものは、何でも受け入れてくれる、甘えられる「母親」なのですから。

あなたの中の母性を発揮して、しばらく相手が「成長」するのを願うことは出来るでしょう。それでも相手が自立していかないなら、それは相手の選択です。多 分タイミングが来ていないのでしょう。あなたはその人にそれでも付き合っていくかどうか決めなくてはなりませんね。

一つの可能性としては、あなた自身がファザコン的な部分を持っているのかも。それなら、自分の父親(あるいは父親的存在だった人)との過去の関係を見直す時期かも知れません。

自分が成長していけば、相手も成長していくものです。普通なら。

あるいは、もし暴力を振るうとか、自分のことを全然ケアしていないような「ダメ男」なら、それは、そのような状況に留まるかどうかを自分で決めなさいということかも知れません。

相手が親とか子供とかは別です。これはその課題に今取り組むということが、魂のレベルで「必要」なのかも知れません。

でも仮にそうだとしても、希望は捨てないで欲しいと思います。人生ツライ経験をすればするほど、自分の魂は成長を遂げて、後々必ず今の辛さを癒しても有り余る幸せを感じる時期がくるものです。


話し戻して、ヒモのような男から離れられないというのは、あなたの母性が本当ではないのかも。つまり相手を「護ってあげる」ことに快感を感じているということかも。

これは子離れが出来ない親と同じです。

子供といえ色々な経験をして、成長して、自分で自分の人生を決めていけるようにならなくてはいけない(親はいつまでもいられないから)のですから、自立を 促すように、誉めるときは誉めて、突き放す時は突き放すことが大切です。


>>恋が長続きしない

これは何か別なものを見ているのかも知れません。例えば、相手の本当の姿を見ないで、相手を理想化しているとか。

ある日突然、相手の本当の姿が見えて、それで別れることになっているのかも。

これは、自分が他人と「親密」になることに対して抵抗していることが原因かも知れません。

例えば、幼少の時に親に触れられることが少なかった場合、他人と物理的・精神的な距離を置くこと、「フリ」をすること(強い女・か弱い女を演じるなど)に慣れてしまったのかも。


>>好きな人ができない
>>相手が盛り上がると冷める

これも似たパターンでしょうか。

本当の親密さというのは、相手の前でも「素のまま」の自分でいられるかどうかが前提だと思います。もっともこれは男女関係だけではなく、誰との関係においてもそうです。


>>友達どまりで恋に発展しない

これは「親密さ」に対する恐怖とはちょっと違うものがあるかも。というのは、他人の前で「素のまま」でいられないなら、友情を育むことも難しいからです。

異性でも同性でも、その人とよい友人でいられるなら、それは素晴らしいことです。

もちろん、お互いに「フリ」をするような「遊び友達」ということではなくて、相手の悩みを聞いたり、相手のことを心からケアできるような友人のことです。

あなたが今求めているものはパートナーかも知れませんが、それはタイミングが来ていないということだけかも知れません。それなら、今目の前に何かやりたいこと、やるべきことがあるでしょう。


>>相手の気持ちを聞ける勇気が欲しい

誰でも拒絶されることは嫌ですものね。ちょっと勇気がいることです。でも、相手に自分の気持ちを何かしらの形で伝えることは大切です。

でも一つだけ。それは相手に気持ちを求めすぎないほうがよい、ということです。こちらの気持ちを伝えるところに重点を置くほうがいいと思います。


「私はあなたのことが好き」だから、「あなたが嬉しそうにしているのが私にも嬉しい」というのと、「だからあなたも私のことを好きになって欲しい・そう言って欲しい」というのは大きな違いがあります。

これは別項で書かせていただいた「大きな愛・受容」「小さな愛・欲求」の違いです。引っ張る愛と与える愛の違い。

人間ですから、誰でも相手を引っ張りたくなりますが、それが強すぎると、相手を遠ざけることになりますし、その結果自分も苦しくなります。

相手に「利用」されているならキッパリとNOを言えなくてはなりませんが、相手をそのまま受け入れるということも大切です。


(続く)

ダメ男ばかり好きになる?(2)

ダメ男ばかり好きになるのはなぜ? の続きです。恋に関する疑問に対する一般的なアプローチを書いてみたいと思います。当たり前のことも多いと思いますが。


相手が浮気しているのか心配

まず、あなたとの関係が、「浮気」となるほど親しいものになっているか、は考えてみてもいいと思います。それほど親しくないなら、浮気とは言わないかも知れませんからね。

もし親しい関係だとして、相手が誰か他の人に心惹かれている兆候があるとしましょう。

その時にあなたはどうすればよいか?

一つは、自分が相手のことを大切に思っていることを相手に伝えることでしょうか。例えば一緒に生活していたり、頻繁に会っているような関係である場合、意外と相手に自分の気持ちを伝えていないケースが多いように感じるからです。

相手が困っていたり、何かを悩んでいたら、それに耳を傾けているという姿勢を示すこと。仮に言葉に出さなくても、聞く耳を持つのだという気持ちは態度に表れますから。

そしていつも相手がいてくれることによって、自分の生活に喜びを感じることができて感謝しているということを言葉にして相手に伝えてみましょう。

その上で、それでも相手が自分のほうを見ていない、ケアされていないと感じられたなら、そこでの態度が問題です。

果たして、相手が自分を見るように要求することは出来るのでしょうか?

究極的には相手の気持ちは相手の自由ですから、相手から「愛情」を要求することはできません

例えて言えば、自分の子供に自分のことをケアするように要求することが出来ないのと同じように、基本的には相手の自由にさせる、それをあたたかく見守るしかないように思います。

以前にも書きましたが、相手のことを引っ張ってしまうと、相手は息苦しく感じますし、誰かに引っ張られるとその力に抵抗するのが自然な反応だからです。

ここは、相手に与える愛と、相手をじっと待つ愛を実践する練習だと思えれば理想的です。

でも、誰でも聖人君主ではないわけですから、時には相手に自分の感情をぶつけてしまっても構わないと思います。私はこういう風に感じているんだということをハッキリと示すことも大切ですから。特に自分の言いたい事をおさえてしまう癖がある人にとっては、これはとても大事なことだと思います。

でも、言ってしまった後には相手に感情をぶつけてしまってごめんなさいと謝ることもお忘れなく。

もし、このような相手との関係性に留まることで自分がハッピーになれないことが明らかならば、そこからは自分の自由意志を行使することが出来ます。

例えば相手に一方的に利用されたり足蹴にされるような関係に留まる必要はないはずですから、そのような相手のことは穏やかに手放してしまい、新しい関係が自分の人生に入ってくる隙間を早くつくってしまいましょう。(ブッシュ・エッセンスならボロニア、レッド・スーヴァ・フランジパーニ、スタート・デザート・ピー、ボトルブラシなど)

もちろん、このような関係が親子間のものだった場合は、特殊な事情ですから別の見方をする必要があると思います。



倦怠期を克服したい

親しい関係が続くと必ず倦怠期に入るものだと思います。

そこでは自分のことに夢中になってしまい、相手のことを見られなくなっている状態でしょうか。

ここで一歩立ち止まってみて、相手の存在が自分にとってどのような意味を持っているのか、もう一回考え直してみる必要があるかもしれません。

前の浮気の項で書いたことと重なる部分が多いです。

オーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンスなら、ウェディング・ブッシュやブッシュ・ガーデニアが使えそうです。



遠距離恋愛の相手との絆を深めたい


日常的に会えない状態にある場合、上述の引っ張る愛・求める愛と、与える・見守る愛の違いがはっきりしてきます。というのは、お互いに相手のために出来ることが限られてくるからです。

相手に何かをして欲しいと思っても、二人の間には距離があり、お互いに日常生活がありますから、それには限界があります。

そこで、もし相手の存在が自分にとって大切だと感じているなら、相手を出来る限りサポートすることに注力することがいいと思います。

電話やメールで相手の話を聞くこと、相手に自分が大切に思っていることを伝えること、そして困った時には自分に声をかけて欲しいことも伝えておきます。

そうすれば、相手も相手にとって自分の存在が大切だと感じてもらえるようになるかも知れません。

もし、距離があって相手が離れていっていると感じられるなら、再び自分がそのような関係に留まることを望むのかどうか、それを改めて自分の心に尋ねてみましょう。



ケンカを仲直りしたい

お互いに人間ですから、時には自分のワガママが出てしまって、ケンカになってしまうこともあります。

愛の反対は無関心ですから、ケンカが起こるのは相手に対する思いがあるからです。その意味ではケンカも健全なことだといえます。

一歩引いて考えてみれば、ケンカが起こった意味というのがありますから、その意味を見つめてみることが大切だと思います。それも相手に対しての意味ではなく、自分にとっての意味だけを考えるようにします。

意味を考えると、相手がワガママだから、相手が無神経だから、相手が冷たいから、などという気持ちになりやすいですが、それは取りあえず横に置いておいて、自分のなかから何が出てきたのかを見ます。

以前にも書きましたが、相手は自分の鏡という側面がありますから、自分のなかに感情的なチャージを伴って相手に対する感情が出てきた時には、それは自分の見たくない側面が出てきているというところからスタートして考えていくことも出来ると思います。

つまり、相手がワガママだと思ったら、それは自分がワガママであることを意味しているのではないか、相手が無神経だと思ったら、それは自分の心遣いが不足 していることを意味しているのではないか、という風にです。自分の行いを見直してみましょう。

ひょっとすると、自分が相手に対して持っている期待が裏切られたことに腹を立てているのかも知れません。相手が自分の思い通りにならないのは、自分が相手 を思い通りにしようとしているということを示しているのかも知れませんね。

この意味を見つけて、それに気付くこと、それを癒そうとすること、それがケンカの起こる意味だと思うのです。

自分のなかから出てきた感情はそのキッカケを提供するだけの目的ですから、出来るだけ早く手放して、捨ててしまいましょう。それはエネルギー的に切り捨てる、爆破してエネルギーを変換して浄化することが可能です。

もしケンカで相手に感情をぶつけてしまったら、それについては素直に謝ってしまいましょう。それは自分の癒されていない傷が押されて痛かったということ で、相手に対するものではなかったのかも知れませんから。

私がよく使うテクニックですが、「もし自分が愛だったら……」というのがあります。これについては別記していますが、「もし自分が愛そのものだったとしたら、何を選択するだろうか」と考えてみるのです。

その上で、それでも相手に文句を言いたければ言ったらよいし、仲直りしたくなければ、それでも構いません。低い選択肢と高い選択肢の両方を見て、それでも 低い選択肢(感情をぶつけてしまう、意地を張ってしまう、など)を選ぶなら、それはそれで仕方ないことです。

摂食障害

拒食症・過食症などの摂食障害の場合、まず最初に考えるのは、その衝動がどのような感情に関連しているかを見つけることです。

つまり、その衝動を連動している「ボタン」を見つけるのです。

例えば、昔の恋愛でのツライ経験を思い出させるような「ボタン」を押されると拒食症などの衝動に駆られるというのは、その原因がそこに関連しているという ことになりますので、その感情に対する対処をすることになります。

例えば、深い悲しみ(それは過去の親との関係に端を発している可能性も高いですが)に対するスタート・デザート・ピーやレッド・スーヴァ・フランジパーニ、ボロニアなど。

もちろん、摂食障害で自分がとってしまう行動に対する感情、罪悪感や自己嫌悪感に対するものも複合的に使うことが出来ます。

罪悪感ならスタート・デザート・ローズ、自己嫌悪感ならビリー・ゴウド・プラムなど、自己破壊的行動にはダガー・ハキア、マウンテン・デビルなどが使えるかもしれません。

肉体的なレベルに対する対処、及び習慣的なものについては、また別の対処方法が必要だと思います。これは具体的なケースに応じてご相談となります。

自閉症

一口に自閉症と言っても、その本質には色々なものがあるように感じています。

一つの可能性としては、魂が地上の肉体に留まることに対する恐怖心というものがあるように思います。

つまり、魂はある人生の目的を持って地上に生まれてきているわけですが、実際に体に入ってみると、地上の人間の意識や環境から「安全」が感じられないというケースです。

するとグランディングが出来なくなりますので、意識が浮いてしまう要因の一つとなります。

その原因としては、

親や家庭に不安感が渦巻いていて安心できなかった場合、

魂のレベルと地上の環境がうまく合致しなかった場合、

その人の魂の目的に関連してそのような経験をする必要があった場合、

子供の自閉症の場合には親がそのような経験をする必要があった場合

などには、このようなことが起き得ると思います。

使えるフラワーエッセンスの可能性としては、ワラタ、レッド・リリー、サンデューなど。



当然ながら肉体的な側面のサポートも必要だと思います。

例えば、

ある刺激が特定の過去の感情に結びついている場合など(これはウツや引きこもりにおいても共通の部分があり、脳内の海馬にエネルギーレベルで働きかけることも出来るかと思います)、

言語能力(ブッシュ・フューシャ)、

運動能力、

自分の感情の地上での(言葉などによる)表現方法(ブルーベル)、

テレバシーなどの使い方(グリーン・スパイダー・オーキッド)

などなど。

これについては各々のケースに応じて、必要なものが異なってくると思います。

喘息

一般的に喘息と呼ばれる症状が出ている場合、その原因を突き止めることができれば、体質を改善することができます。

念のため、最初に書いておきますが、ここではお医者様に喘息と診断されたものを取り扱おうとしているのではなく、一般的に喘息の症状で悩まされている人の状態を、全体的に改善するための方法を考えています。従って、例示したレメディやエッセンスは飽くまでも例で、個別のケースでそれに適した対応はかなり異なりますので、具体的にお悩みの方はご相談ください。

原因には、本当に様々なものがあると思いますが、例えば、空気中の有害物質、不規則・低品質の食事、アトピーなどの皮膚疾患を抑圧する治療、アレルギー、 精神的なストレス、未消化の感情、遺伝的な要因、などが代表的なものでしょうか。


この場合、まず肉体的な側面と精神的な側面を見ていきます。

肉体的な側面、つまり出ている症状や病歴などについては、まずはホメオパシーで適当なレメディを見つけようとします。但し、急性の症状については、まったく別です。

代表的なレメディとしては、IPEC(一つの大きな候補、IPEC30程度を頻繁に)、ARSEN(IPECの次に使える)、NAT SULPH(湿った 症状)、NUX VOM(胃腸の不調を伴う)、BLATT、DULC、HEPER SULPH、SULPHUR、LOB INFL、などがありますが、こ れらの使い分けについて詳しくは別に譲ります。

肉体の臓器サポートも必要かも知れません。甲状腺や副腎皮質などに関連するレメディ(ADREN、IOD、THYROID)、肝臓(CARDUUS M、CHELID)・腎臓(BERB)・脾臓などのレメディも使えます。


次に精神的な側面、これについては家庭内の環境や、本人の魂の学びなどの要素を考えていきます。

それこそ個別のケースで異なりますが、

周囲の環境から「脅威」を感じている部分(ワラタトール・イェロー・トップレッド・グレヴィレア、ACONITE)、

自分のエネルギーを守ることが上手ではない部分(オーラの張りかたが弱い)(エンジェルソードフリンジド・ヴァイオレット、PHOSPHORUS)、

基本的に安全だと感じていない(ドッグ・ローズダガー・ハキア)、

家系の影響を切り離すことが出来ない(ボアブレッド・ヘルメット)、

誕生時や前世などのトラウマが解決していない(トール・イェロー・トップムラ・ムラピンク・ムラ・ムラグリーン・スパイダー)、

悲しみを胸に溜めている(スタート・デザート・ピーブルーベル)、

などでしょうか。


尚、括弧内はオーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンスとホメオパシーのレメディの例です。

その要素の本質がわかれば、お話をお伺いして、本人の顕在意識をそこに向けてもらうこと、それに立ち向かい克服するサポートをするためフラワーエッセンスなどを使うことが出来ると思います。


何れにせよ、このように問題がかなり肉体レベルまで降りてきている場合、さらに長期間その状態が継続している場合は、6ヶ月や1年という継続的なモニターが大切だと考えます。

なお、ホメオパシーやフラワーエッセンスを使ったとしても、これまで受けてきた治療と相反しそれら邪魔をすることはないとご理解ください。これまでの治療 (既存医療や鍼灸、気功なども含めて)の効果についてはご自身でご判断ください。

めまい、メニエール病

めまいには色々な原因がありますし、場合によっては重篤な病気の兆候でもありますので、専門家の診断は受けてみることをお勧めします。

ここでは、そこでも原因が不明だったり、あるいは典型的な診断(メニエール病など)とは違うのですがお医者様としてはそのように分類せざるを得ないような場合の他の可能性について考えています。

ホメオパシー的な使い方から言えば、めまいには次のようなレメディの可能性があると思います。もちろんこれで全部ということではありませんし、根本体質や その他の特徴を確かめなくては正しいレメディを見出すことは出来ませんが。

(1)胃腸の不調
NUX−VOM、PULSATILLA

(2)吐き気と便秘を伴う場合
BRYONIA

(3)貧血・体液喪失によって悪化する
CHINA

(4)神経系統の疲弊からくるもの
PHOSPHORUS

(5)老人性
RHUS−TOX


これとは別の可能性として、私の経験でも時々確認することがあるものですが、その方が自分のハート(魂)に逆らって、自己表現が出来ていない場合にめまいが出ることもあるように感じています。

人によっては、これが高血圧などの心臓関係の症状として出ることもあります。自分のハートにつれなくしている訳ですから、これも当然と言えば当然だと思います。

他のタイプの人の場合、それがめまいとして出るケースもあります。

この場合、例えばこれまでいかに自分の本当にしたいこと・喜びを感じることをしてこなかったかに気づくことも必要かと思います。

例えば、親が厳しくて親のいうとおりに人生を選択してきた、あるいは自分は本当は違うことをしたいのに、社会的通念や周囲のプレッシャー、あるいは強すぎる責任感などから行動規範を決めている人など。

この場合、ホメオパシーではCARCINOSINというレメディを使ったりしたこともあります(体質にもよりますが)。


オーストラリア・ブッシュ・エッセンスの可能性としては、「オーストラリア・ブッシュ・ヒーリング(イアン・ホワイト著、未訳)」によれば次のようなエッセンスが出ています。

ブッシュ・フューシャ
自分の左脳と右脳のバランスをとる。直感に従う

クロウェア
自分の感情が分散していてわからない・心配

ハイバーシア
知性面を重視しすぎる

ジャカランダ
目の前のことに集中できない

ピンク・ムラ・ムラ
過去生などの古いトラウマ・傷

イェロー・カウスリップ・オーキッド
頭主導で知性面が重い

トラウマをのぞいては、頭の使い方が知性面に偏りすぎていたり、あるいは頭の中心にいないというあたりのエッセンスが多いようですね。

甲状腺の異常

甲状腺機能が高すぎる、低すぎるということがありますが、甲状腺のような内分泌システムについては、とても微妙なバランスがありますので、一般的にはホメオパシーのレメディでも慎重に調整するようにされていると思います。

その点、フラワーエッセンスの場合、実際に花のスピリット、エレメンタルが前面に出て働いてくれていますから、無茶な飲み方をしない限り、だいたい大丈夫だと思います。

これがフラワーエッセンスだと、好転反応といいますか、ヒーリング・クライシスを経験することが少ないといわれている所以だと思います。


さて、オーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンスのレパトリーで甲状腺の引いてみると、オールドマン・バンクシア(OLD MAN BANKSIA、OMBと略)、或いは、甲状腺機能亢進の場合、ブラック・アイド・スーザン(BLACK−EYED SUSAN、同BES)、ジャカランダ(JACARANDA、JAC)、オールド・マン・バンクジア(OLD MAN BANKSIA)のコンビネーションが載っています。

生き急ぐBES、分散して集中できないJAC、そして甲状腺に関連するOMBですから、機能亢進症のエッセンスを捉えていると思います。


個人的には、なぜか甲状腺と透視・霊視能力の関連があるように思っています。

この理由はまったくわかりません。誰がご存知のいらっっしゃいましたら教えていただきたいです。

飽くまでも観察に基づくものですが、その方の体格が大きくても小さめであっても、透視リーディングなどをしている方の場合、甲状腺のバランスが崩れやすい傾向があるように思うのです。

その観点からは甲状腺異常があって、かつ直感を使っている方の場合、直感に関連するエッセンスブッシュ・フューシャブッシュ・アイリスグリーン・スパイダー・オーキッドフリンジド・ヴァイオレットエンジェルソードなど)も併用できるのかな、と思っています。

  




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