男性が親・社会からの刷り込みなどによって男性たる自分について偏ったイメージを持っているのではないかということを書きました。
今回は、女性が女性自身の力を取り戻すために何が邪魔をしているのかについてちょっと考えてみました。
ちょっと昔ですが(特にマッチョのイメージを目指している男性が考えそうなことですが)、女性は弱いものだ、だから男性は女性を守らなくてはいけない、というイメージがありました。典型的なのはポパイでしょうか。か弱く助けを求めるしか知らないオリーブのために、マッチョのポパイは敵に向かっていきます。
さすがにこのイメージを持っているのはアメリカでも少数派になってきていると思います。最近ではリブ運動の影響もあり、女性をお互いにあまり意識せずに働いているか、あるいは女性をむしろ腫れ物のように怖がっているか、二つのパターンが多いようにも思います。
これは以前、私が経験したことですが、あるホテルに泊まった時、そこのポーターというんでしょうか、ベル・ボーイが
ベル・ガールだったのです。最近は結構ありますね。そして、私が重い思いをして運んできたスーツケースを部屋まで運んでくれました。
なぜ彼女らはそれが出来るのか?
女性は物理的な力がないというのは本当は真実ではないと思ってます。だって、例えば自分の子供を守るためだったらお母さんは車も持ち上げられることもあるんですから。
日常的なレベルで言えば、日用品の買い物に行って、何袋もある荷物を一挙に家に運び入れようとする時の女性はたいへんな力持ちです。腕がちぎれそうな重さでもそれを運びます。
また、自転車で前に一人、後ろに一人、それに背中に赤ん坊を背負って走っているお母さんの姿、時々見かけます。二人くらいの幼稚園年少くらいの子供を両手で軽々と持ち上げる小柄なお母さんも多いですよね。
要するに、
それを出来ないとは教えられていないから、出来ないなんて考えてないんです。
つまり、本当は出来ないのではなくて、
自分で出来ないと思いこんでいるからやらないという部分は少なくないと思います。
他方、就職するにしても、職場においても、女性はお茶だし、重要な意思決定は男性の仕事といったイメージはまだ残っていると思います。大企業では少なくないことです。
このような職場にいる女性たちは、自分たちが同僚の男性と同じように営業をしたり、企画を立てたり、 あるいは仕入れの荷物を運んだり、法律的・数学的分析をしたり、あるいは、経営者として重大な意思決定を出来ると信じているのでしょうか?
ここで言っているのは、
女性自身が自分の能力・本来持っている力を使う
「許可」を十分おろしていないのではないか?ということです。別に男性に混じって市場で冷凍された魚の荷おろしをすることが適しているかどうかは分かりません。
男性は男性に向いた職・役割というのがあるでしょうし、女性は女性に向いた職・役割があると思います。その中間にある職・役割については、男女どちらが就いても問題ないと思います。
次は女性が持っている強み・力について