10年ほど前にイギリスでスーパーにオーガニック(有機)の食べ物が広く並び始めた時がありました。
最初はスーパーの一角だけにしかなかったのですが、それが徐々に広くなって、あっという間にスーパーの選択肢が増えてきました。最初に広がったのは恐らくベビーフードでしょうね。自分達が食べているものはいいとしても、これから体を作っていく自分の子供には出来る限りいい質のものを食べさせてあげたい、という気持ちでしょう。
ということは、普段自分達が食べているものの質(残留農薬など)をそれなりに気にしている人が多いということで、これは私にはちょっと意外なことでした。
と同時に、オーガニックと書いてあれば何でもいいのか、ということもあります。
例えば、スーパーの店頭に出る前に商品が倉庫に眠っている期間ありますから、そこで失われるエネルギーも無視できません。そこで、信頼できる生産者から直
接仕入れるサービスが広まり、実際にそこから買ってみると、野菜などの新鮮さには驚かされた記憶があります。
食べ物について、最近思ったのは、私たちが口にした食べ物は体内で分解されて吸収される、それだけのプロセスなのだろうか?ということです。これでは人間
の体内のプロセスはすべて化学反応によって説明し尽くされるということにならないだろうか、と。
ある見方によれば、私たちが食べ物を食べると、そこに含まれているエネルギー(カロリーというものではありません、波動のようなものです)を吸収しているのだとされます。つまり、実際に口にいれているものは、そのエネルギーを取り込むための媒介なのだとされているようです。
つまり究極的には、将来私たちのバイブレーションがさらに高まり、粗雑な部分(物質的な部分)が重要でなくなってくると、私達は食べ物を実際に口にいれる
必要はなくなり、そのエネルギーのエッセンスだけをを吸収すればよくなるとされています。
まあ、一挙にそこまでいかなくても、現在の進化段階においても、食べ物を作りだしたエネルギー(植物などを育てているエレメンタル的存在)の質というのが重要なことは間違いないようです。
とてもハッピーな環境で育った食物(植物・動物)は、そうでないものに比べてよいエネルギーを持っているということになります。
ギュウギュウに押し詰められた鶏舎で育った鶏と自然の環境で動き回った鶏では、そのエネルギーは違うのです。また、これは食べ物に限らず、例えば製造過程
で行われていること(例えば非人道的な動物実験など)は、その最終製品にエネルギー的には影響があるようです。
これをさらに延長して考えると、肉食用の動物を屠殺する時に動物が感じた恐怖の感情は肉に残っていることになります。
別に肉食がいけないということではありませんが、そのようなエネルギーが入っていることを意識することで、肉体を与えてくれた動物に対して感謝することが出来れば、そのような恐怖の感情をやわらげることもできるかも知れません。