人の醜さが苦しい
人の醜さについては、ここで改めて書くまでもなく、この世の中にはそのような現象がたくさんあります。
これについては、前に書いた「二人の天使」の話を再掲させてください。究極的にはここに本質があると思うからです。
(引用始)
二人の天使が天国にいて、一人がもう一人に言います。
ここは周りが光、愛だらけで、他のものが見えないけれど、いったい「光」「愛」は何だかもっと知りたい、それが何だか経験してみたいというのです。
すると、もう一人の天使がこういう提案をします。
では、二人で地上にいって、そこで自分があなたのために愛のない行為をすると。例えば、相手を傷つけるような行為です。そうしたら、愛のない行為を受けた
天使は、それを赦すことによって愛が何であるかを自ら経験することが出来るというのです。
そして傷つける役割のほうの天使が付け加えます。
ただし、その愛のない行為の裏には、本当は愛があることを忘れないでね、と。
そうして二人の天使は地上に降りていくというような話でした。このストーリーを基にした絵本も出ています。
個人的には、この話は私たちがなぜ地上での生を選択しているのか、という疑問に対する答えを与えてくれていると思います。もし私たちのまわりが幸せや愛や
光だけだとしたら、そこでは幸せでしょうが、やがて私たちはここで一体何をしているのだろうか、と知りたくなると思います。その答えは、自分とは違うも
の、つまり光に対しては影・闇を作り出してみないとわからないということなのです。
そして、地上で愛のない行為を繰り返している私たちの中には、愛が欠けているのではなくて、愛の何たるかをお互いに経験する手助けをしているのだということ。
(引用終)
また、もし自分が「醜い」行動をとってしまったとしたら、次のことを自分に問うてみます。
(引用始)
「神との対話」の著者、ニール・ドナルド・ウォルシュの発言です。
特に困難な状況に直面した時、自分が何か行動を起こす前に
「これが本当の私だろうか?」
「自分が愛そのものだとしたら、今、何をするだろうか?」
の2つの質問を自分自身に聞いてみるのです。
私達が人生の中で選択の瞬間に迫られた時この2つの質問を聞いてみると、私達の選択肢はその瞬間よりクリアになると言っています。
そしてそれは
「もし私達が自身の声を聞くなら」
という問いになるのだと、ニールは言っています。
つまり、自分が選ぶべき選択肢がクリアになるかどうかではなく、むしろ私達がより高い選択肢を取るか、もしくは私達が自身の声を聞いてもより低い選択肢を取るかということなのです。
(引用終)