謙虚さ
いわゆるニューエイジとかスピリチュアル、或いは自然系の世界を見ていると、そこにいる人々がとても硬化しているように感じることがよくあります。実際私もその世界にどっぷり浸かっていた時代もありましたから、批判は出来ませんが。
例えば、宗教的、精神世界系の教えになかには、自分のところのものが最高であり、その他のものを排除しようとする傾向がよく見られます。キリスト教を信じていれば、イスラム教は排除する、ホメオパシーを信じている人はそれ以外のものを排除する、といった傾向です。このような傾向は、私の個人的な経験でも、シュタイナー、ホメオパシー、各種宗教、自然食品などで感じることがありました。
私も以前はほとんど菜食主義になっていた時期もありました。現在でも赤肉を食べると体調が悪くなりやすいのですが、それでも体が欲している場合は、逆らわ
ずに食べるようにしています。その結果、自分の思い込みではなくて(体に悪いと思って食べていると体調を悪くしますからね)、実際に体に悪かったなと思え
ば、それは「目が欲しかった」ということだと思うようにしています。ひょっとすると、そこには感情的な課題が隠れていることもありますが(例えば、無性に
甘いものが欲しいなど)。
あるいは、私がイギリスで経験したホメオパシー教育で感じたことですが、ホメオパシーさえあれば、ほかのセラピー、モダリティは不要だと信じている人もい
ます。あるいは逆に既存の近代医療は進んでいるから、ホメオパシーや中国医学、アーユルベーダのような「古い」モダリティは無価値だと信じている人もいま
す。私は、近代医療の特に検査システムや外科的な可能性は、以前にはありえなかったことを可能にしており、ユニークな価値があると思います。
要するに、いかに自分が正しいと思っていることでも、それ以外の考えをする人には、それなりの敬意を払う必要があるのだろうな、ということです。もちろん、それによって自分の考えを変える必要はありません。でも他人を判断することはしてはいけない、それが今の時代にそこにあるということには出来る限り謙虚な態度をとりたい、と心がけています。
ここで思い出すのは、ルドルフ・シュタイナー(人智学の創設者、精神世界・教育・芸術・医療など広範囲にわたって講演・著作を残した)の人のエピソードです。
シュタイナーは霊的な立場から、肉食の霊に与える悪影響について数多くの講演をしているのですが、ある時ヨーロッパの都市を訪れて、川下りのツアーに参加
したことがありました。シュタイナーに同伴した現地の人は菜食主義ですので、ツアーの途中食事をとるときに、そのメニューに菜食のものがなくて仕方なくサ
ラダだけを注文しました。最後にシュタイナーの番になって、彼はステーキを注文したということです。びっくりする仲間に対してシュタイナーは、これしか食
べるものがないなら、それを食べることがこの時代に対する敬意・謙虚さだと説明したそうです。